ねこアパート

101号室

中村 たび

なあに?

中村 たび ぽすと

1986年4月生まれ。
ミンクのような毛皮はつやつやだし、つぶらな瞳はキラキラしてて、ずっと若く見られたことが自慢なの。


そのうちまた掲載予定! (August 7th, 2004)

連載第90回

「近いうちにまたハハが掲載予定!」なんて書いておいて、8ヶ月も過ぎてしまいました。
今日8月7日はたびの一周忌です。
あれから1年経ってしまいました。もうずっと前のことのような気もしますし、つい先だってのできごとのような気もします。

実際、この1年の間にはたくさんのことがありました。
8月、たびが天使になった後にちびまるがやってきました。
10月、叔母の家にうちの子たちとも親戚のノル・大介が養子に来ました。
年が明けて1月にはミルタが実家に一時帰省してムコになり、更にしばらくしてくるるがママになりました。
くるるの赤ちゃんについては、時期が時期だったので「たびが生まれてくるかもしれない!」と大興奮だったのですが、残念ながらたび風の子は生まれず、「たびジュニア」として考えていた「ジュニア」という名前は「ミルタジュニア」ということで、一番おチビで要領が悪かった末っ子の男の子につけられました。そして、我が家のねこたちはたびも含めると7人姉弟になりました。
春には大介が遊びに来たり、くるるの避妊手術があったり(その後くるるはダイナマイトボディっぷりに拍車がかかったり(笑))。
さらにその間を縫って海外に行ったりもしました。

その間、たびはずっと一緒でした。
そろそろ土にもどしてあげないとならないというのはわかっているのですが、どうしてもできなくて。
でも、1年過ぎて、ようやくたびのことを静かに考えられるようになった気がします。

たびが天使になってしばらくの間は、ふとした瞬間に痩せたたびの姿が見えて、その度に胸がつまって涙がこぼれました。

なぜもっと早く彼女の異変に気づいてやれなかったのだろう。
6月くらいからぐっと毛艶が悪くなり痩せてきていたのに、「年のせいかなあ」と流していたこと。
急に調子が悪くなる1週間くらい前からごはんをほとんど食べなくなった時も、いつものたびのわがままだと思って(たびはよく食べ物に関してわがままを言って、むら喰いすることがあったのです)「たび、ちゃんと食べなさいよ。食べないならそれでもいいよ」と叱ってしまったこと。
病院で「毎日輸液を続ければ延命することはできるかもしれませんが、それは数週間かもしれないし数ヶ月かもしれません」と言われたとき、悩んだ挙げ句輸液による延命を中止したことにもまだ迷いと後悔がありました。

たびは食事も水も採れなくなっており、栄養失調と脱水状態になっていたので、輸液をしてもらうと、一時的にせよ確かによい状態になったのです。
最初に輸液してもらった時には、先生も驚くほどの量がたびの小さなからだに吸い込まれていきました。
何度か注射をして状態がよくなった後、今度は時間をかけて点滴をすることになったのですが、結局その間は病院にいることになり、私たちは心配でたまりませんでしたし、たびはたびで大層不機嫌になりました。
毎日移動して、何時間も病院で点滴を受け、それで少しばかり永らえたとしても、それがたびの本意だろうか。
私たちは悩みました。

実は、しばらく前からつれあいと私の間では「たびにもしものことがあったら」という話はしていて「無理な延命措置はしないことにしよう」という結論は出ていました。
私たち自身がそういう立場になったら静かに逝かせてほしいと思ったからです。
もしまだ年若く、辛い治療でも乗り越えれば治る見込みがあるならやろう、でも寿命と思われる年齢に達していて、完治しないことがわかっているなら、そんな治療はやめよう。静かに好きな場所で気持ちよく最期の時間を過ごさせよう。
誇り高いたびなのだから、きっと私たちと同じ気持ちだろうから、と。

それでもその場になると心は揺れました。
点滴でなく注射ならすぐに終わるから、毎日輸液だけでもしてもらったらいいんじゃないか、そしたら奇跡的にある日たびが回復していて、元通り元気になって通院も不要になるのじゃないか。
いや、別に奇跡が起きなくても、数ヶ月でも数週間でも数日でもいい、とにかくたびに長く一緒にいてほしい。
ああ、でもそれは私のエゴであって、たびに無理強いはできない。
たび、病院は嫌い? 注射は痛い? 車で病院行くのはいや?
たび、ほんとはどうしたい? どうしてほしいの?
たびは答えてくれません。

結局、輸液を受けてよい状態になっても、たびがお水は飲んでも食事を取ろうとしないこと、強制給餌は断固として断ったことで、私は諦めました。
たびは自らの寿命を心得ており、自分の意志で静かにその時を迎えるつもりなのだと思いました。
それからは通院をやめ、家で一緒に過ごしました。

たびの好きなおかかでだしを取って飲ませてみたり、かまぼこをすってペースト状にして嘗めさせたりしてみましたがだめで、結局冷たい砂糖水が一番口当たりがよかったらしく少しずつ飲んでくれました。
ノンタたちのブリーダーで仲良しの今泉さんがとても心配してくれて、たびに、と栄養食や強制給餌用の注射器などを送ってくれ、何くれとなくアドバイスをしてくれて、ヘナヘナの私を励ましてくれました。今泉さん、あの時はいっぱい助けてくれて、ほんとにほんとにありがとう。

たびは足許がおぼつかなくなっても、きちんと自分でトイレに行きましたし(トイレはたびのすぐ側に置いてありましたが)外へパトロールに行きたがりました。
明治の気骨溢れるおばあちゃんのような誇り高いたびのために、家の回りだけでしたが、たびの後をそっと見守るような形で一緒にお散歩しました。危なそうな場所は抱きかかえ、柔らかい土の上だけでしたが、たびは噛み締めるようにゆっくりゆっくり歩いていました。それはたびが天使になるほんの数日前まで続きました。

ヨロヨロだけど、まだ大丈夫、こうやってまた元気になれるかもしれないと思っていました。たびは最期の夜までとてもしっかりしていたのです。
だから、また明日の朝会えると思って、夜中3時頃眠り、翌朝は6時頃に起きたのですが、たびの魂は短い夜の間に抜け出し、冷たくなったからだだけがありました。
たびは最期の姿を私に見せたくなかったのかもしれません。
それとも、私と一緒に眠って、そのまま天使になってしまったのかもしれない。

泣いて過ごす日々が続いた後、しばらくして今度はふとした瞬間に見えるたびが、以前のふっくらした艶やかな姿に戻っていることに気づきました。
それはベランダに洗濯物を干すとき、いつものようにたびが楽しそうにコロンコロンしていたり、お料理をしているとき、おねだりするようにこっちを見ていたりするのです。
ああ、たび、一緒にいてくれてるんだね、と、今度はうれしくて涙がこぼれました。

つれあいと「たびはお天気のいい昼間は山の家で遊んでて、ごはんを食べに帰ってくるんだね」と話しています。
山の家は、ここが大好きなたびが元気なうちに、と建て替えました。
少しずつ足が弱くなってきたたびのために段差は極力少なくしました。のんびり外を見られるように出窓もたくさん作りました。
この新しい家で、たびが4年だけでも過ごせてほんとによかったと思っています。
たびが好きで、最期までよくいた和室の出窓を見ると、そこで和んでいるたびの姿が見えます。

不思議な話なんですけど、昨日ノンタはずっとたびのお骨のそばにいて、時々目をさますと甘えた声を出し、私のそばを目で追ったりしていました。
ノンタには私よりずっとよくたびの存在がわかるのかもしれませんね。うらやましいです。

さあ、ここらで区切りをつけて、またがんばろう! ね、たび。
 
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