ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第1回(May 15th, 1998)


私はこの4月で12歳になった。回りの人は、「可愛い、可愛い」と言うが、人間で言えば齢60歳を超えた、御意見番といったところである。生来の無邪気さで毎日を気ままに送る私にも、やはりいろいろなことがあった。

私が生まれる前に亡くなった九州のひいおばあちゃんは、「かあしゃん」に「いつか私の若い頃の波乱万丈なお話を書いておくれ」と言ってたのに、その話をかあしゃんにちゃんとすることもなく逝ってしまった。(これはかあしゃんも、ヨコハマのおばあちゃんも心残りに思っているらしい。)

3年程前におばあちゃんから頼まれて、軽い気持ちで執筆した「私の履歴書」が思わぬ反響を呼び、続きはまだかとせかされてもいたし、よい機会なので、きちんと書くことにした。徒然なるままに記憶の糸を辿っていこうかと思っている。ただし、いかに賢いと言ったところで私は今を生きるねこ、はっきり言って昔話を正確にする自信はない。その点かあしゃんは「人生を記憶力と勘のよさだけで乗り切ってきた」と豪語する人間なので、細かい点は彼女に思い出してもらおうと思っている。

さて、まずは私がかあしゃんと出会ったあの日のことから話を始めたいと思う。
あれは1986年の6月の日曜日のこと。生まれてまだ二ヶ月にも足りない小さな私は、「東急ハンズ・玉川店」のワンニャン・ハウス(というような名前だったと思う)にいた。

連載第2回(June 1st, 1998)

私はハーフである。ふかふかの毛皮を持つ上品なお嬢様と、スリムでちょっとやくざな流れ者が許されない恋をして生まれた(んじゃないかな、と思ってるんだけど)私は、生まれ落ちるなりハーフねこを待つ厳しい現実に直面することになった。里子に出されたのである。

ワンニャン・ハウスには、たくさんの私と同じような境遇の犬やねこがいた。ずっと里親が見つからず、すっかり育ってしまって、まるで主のようになっているものもいる。入ったばかりの私は一番のちびだった。

私たちねこは五百円だった。犬が千円なのに、ひどい差別だと思わない?今思い出しても腹が立つ。まあ、それでも、そこでかあしゃんと出会えたのだから、よしとしよう。何が幸いするかはわからない。
初めてねこと暮そうと考えていたかあしゃんは、どきどきしながら、お休みの人だかりの中にいた。

(保護者注:たびは、「わんわん物語」が好きなので、どうも自分をレディとトランプの子供のように考えているようです。犬嫌いのくせに。また、ワンニャン・ハウスは、気軽に犬やねこをおこづかいで買ってって、親御さんにおこられる子供が続出したため、一時里親探しをやめていたようです。今はあの、「ねこたま」になってて、会員だけ里親になれます。もう、五百円なんかじゃありませんよ。たびはお買得だったかな?)

連載第3回(July 15th, 1998)

もう何百回も聞かされたが、かあしゃんは私に一目惚れしたのだそうだ。

今でこそ体重4.5キロの、ダイエット・ボリ(ドライフードのことです)を食べさせられている(やや)肥満ねこの私だが、当時は掌にのるほど小さく、軽く、可憐だった。(かあしゃんは、すらりと見える私の写真を厳選して載せてくれているようだ。これには感謝している。が、ペットは飼い主に似る、というではないか。顔は小さいが、お尻がデカイ私の体型は、かあしゃん譲りなんだから、米茄子に手足とか言うのはやめて欲しい!!ぷんぷん)
しかも好奇心旺盛で、他のねこにいたずらしては叱られ、それでも元気に飛び回っていた。

そんな私の姿に魅せられたかあしゃんは、手足と鼻先(それに襟巻きとおなかも)が白い私を見て、すぐに「たび(足袋なんだなー、これが)」と名付けて私を連れて帰ることにしたのだった。

男の子にはブルーの、女の子には赤いリボンが首に巻かれていた(私は赤)のだが、「売約済」の黄色いリボンに取り替えられて、お買い物を済ますかあしゃんを1時間ほど待っていた。
私を受け取りに来たかあしゃんは、また私を見て、「あっ、この子の方がカワイイ!失敗した!こっちに取り替えよう、できるかな?」とパニックになったらしい。ばっかでー。要するに私に二度惚れしたという訳だ。

こうして私はケーキの箱(ほんとにケーキ4個くらい買ったときに入れてくれる、あんな箱)に入れられて、豪徳寺のかあしゃんのアパートへ向かうことになった。



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