ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第31回 (August 15th, 1999)

さて。
私が長いこと鍵ねこだったことは、しつこく何度もお話ししたとおりだが、かあしゃんが仕事をやめてからは、ずっとかあしゃんと一緒にいられるようになった。
これはとてもうれしいことだった。
一緒にいたって、子ねこじゃなし、四六時中遊んでいるわけでもないのだが、それでもいつも誰かがそばにいるってことはすばらしいことだ。なんと言っても寂しくないしね。
でも、かあしゃんがいないこともたまにはあった。
年に1度くらいだが、お仕事でしばらくお出かけしてしまうのだ。

とうしゃんがお仕事で「出張」するのはわりとよくあることなので、それほど違和感がない。「出張」でなくても、山の家にかあしゃんと私たちねこたちだけってことはよくあることだし。(今もそう)
でも、かあしゃんがいないと、ほんとに変な感じがするのだ。

前のとうしゃんとの暮してるときにもあった。あのときには、押入れで泣きながら眠ったなあ。
今のとうしゃんとは、一緒に暮し始めて半年くらいのとき、初めてかあしゃんが「出張」した。
とうしゃんと私は仲良くなり始めた頃で、毎日たくさん遊んでもらっていた頃だ。
毎晩とうしゃんが帰ってくると、私は30分ほど「今日のできごと」を報告して、それからごはんを食べ、一緒に遊んでもらってから心安らかに眠った。
それからはそれが習慣となり、かあしゃんが一人でどっかに行っていないたびに、とうしゃんと私は仲良く過ごす。
実は、今ではとうしゃんの方が好きかなって思うくらいだ。
とうしゃんも、かあしゃんがいなくても「たびがいれば平気」って言ってる。

でも、1度だけ、とうしゃんもかあしゃんもいなくなっちゃって、私は一人でお留守番しなきゃいけなかったことがある。
いや、正確には一人じゃなかった。おばちゃんちに預けられてたんだから。

連載第32回 (September 1st, 1999)

とうしゃんとかあしゃんは、とうしゃんのお仕事で「よーろっぱ」に行くことになったとき、私をどうするかについてあれこれ考えていたが、結局一番安心だから、と横浜のおばちゃんちに私を預けることにした。
ペットホテルも動物病院も、繊細な私が過ごすのは無理だろうし、ここは田舎なのでペットシッターもみつからず、泊まりに来てくれそうなおばちゃんとおばあちゃんはお仕事があって無理だったので、それなら私の方が泊まりに行けばいい、ということになったのだ。

横浜のおばちゃんは、かあしゃんの一番歳の近いおばちゃんで(とうしゃんと同い年だ)、一人で気楽に暮らしている。かあしゃんは小さい頃一緒のお部屋で暮らしてたので、おばちゃんのことは「お姉ちゃん」と呼び(呼べと命じられている)、仲良しだ。

おばちゃんは、野球の巨人軍が大大大好きで、毎年夏になると野球場まで応援に出かけたり、お家でテレビで見たりしている。巨人が負けた翌日などには、お電話するのもコワイくらいなんだってかあしゃんが言ってた。ものすごく機嫌が悪いのだそうだ。

おばちゃんは、巨人の次の次くらいにねこも好きで、私のことも可愛がってくれる。私が赤ちゃんの頃にも、よく遊びに来てくれた。私がなついている、数少ない人々の一人だ。

おばあちゃんも好きだけど、おばあちゃんは、昔、犬の匂いがしたから、おばちゃんの方が好きかな。(おばあちゃんちには、昔、「悟朗」くんっていう柴犬がいたから。優しいおじいちゃん犬だったけど、やっぱりちょっと恐かった。犬用のカリカリも試してみたけど、イマイチだったし)
それに、おばあちゃんはお家でお人形さんを作っているので、針だの鋏だの、危ないものがたくさんある上に、生徒さんが来るから、昼間はお仕事に行ってるけど、他は気楽なおばちゃんちの方がいいだろうということになったのだ。

おばちゃんは喜んで私を預かってくれると言うので、私は、ごはんとごはん皿持参でお泊まりに行くことになった。

連載第33回 (September 15th, 1999)

おばちゃんちは、横浜の高台にあるアパートで、窓からは桜の木が見えたと思う。と思うっていうのは、ちょうどお花の季節が終わった頃だったので、ちょっとはっきりしないから。

おばちゃんは、昼間お仕事に行っていたが、夕方にはちゃんと帰ってきた。かあしゃんと違ってお掃除が好きで、お部屋はいつもすっきり片付いていて気持ちよかった。ねこ好きであるのにもかかわらず、実際にねこと暮らしたことはなかったはずだから、ガードも甘く、ねだればねだっただけおやつももらえた。けっこういい暮らしだったってわけだ。

おかかをしまってある棚もすぐに覚えた。
欲しくなると甘い声でおばちゃんを呼び、おかかの棚の前まで連れて来て、おかかを見上げ、おばちゃんの顔を見つめて、ダメ押しで「アーン」とないてやる。おばちゃんはいきなり赤ちゃん言葉になって(人間って、なんで私たちねこと話すとき、あんな言葉になっちゃうのかね?)すぐにおかかを出してくれた。ちょろいなあ、と思った。
おばあちゃんも、それからとうしゃんも甘くて、私がちょっと甘え声をだせばイチコロなのだが、かあしゃんだけは手強い。「たび、そんな3日も何も食べてないような声を出してもだめだよ、食べ過ぎだよ」と、2回に1回は断わられてしまう。
おばちゃんちでは、もうねだり放題だったので、けっこう気分良かった。

おばちゃんちで一度だけ肝をつぶしたことがあった。
気持ちのよい日曜の午後、おばちゃんと和んでいたときのことだ。
お天気がよくて、おばちゃんは窓を明け放してお掃除をした後だったと思う。天敵である掃除機がしまわれ、ほっとした私はウツラウツラ船を漕いでいた。
そのとき、外からものすごい音が聞こえた。車の音だったか、工事の音だったか、今となっては忘れてしまったけれど、何しろ急に大きな音が聞こえて、私は心底びっくりしてしまったのだ。びっくりした私は、とっさにここが自分の家でないことを思い出し、恐くてたまらなくなり、ここで唯一私を守ってくれるはずのおばちゃんに飛びついた。
文字どおり飛びついたのだ。

後でおばちゃんは、「トレーナーの上からでもたびの爪が刺さって、そりゃもう痛かった」とかあしゃんに文句を言っていたが、その時の私には怒りもせず、優しくしてくれた。おばちゃん、ありがとう。

その数時間後、かあしゃんととうしゃんはパリのホテルで、アイルトン・セナの事故死を知ることになる。そう、あの1994年、春のことだった。


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