ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第50回 (June 1st, 2000)

(まあ、どうしよう、ノンちゃんお風呂に入れられちゃうんだ)
どうしてだか私は落ち着かない気持ちになった。別にあの甘えん坊の暴れん坊がお風呂に入れられたって、私はどうってことないはずなのに。

お風呂に連れて行かれたノンちゃんは、これから何が始まるのかよくわからないふうで、かあしゃんにだっこされてはしゃいでいたから、その後の惨劇を想像すると、ひとごとながら胸が痛んだ。

気がつくと私はお風呂のドアの前をうろうろして、とうしゃんから「たびは今日はお風呂に入んなくていいんだよ、それにノンちゃんのことは心配しなくても大丈夫だって」と声をかけられていた。
「ううん、とうしゃん、私別に心配してるんじゃないの。ただ、ただ何となく気になってるだけよ」
ツンとしてそう答えたものの、ドアの向こうからノンちゃんの泣き声が聞こえ始めると心配で心配でたまらなくなってしまった。

「かあたーん、やめて〜!いやだよお、なに、なにこの泡々!やだってば、毛皮が濡れちゃうよお!とうたーん、たびねえたーん、助けて、助けてよー!!!えーん、えーん」

ノンちゃんは文字どおり泣叫んでいた。
「だいじょうぶよ、ノンちゃん、気持ちいいねえ、すぐに終わってきれいきれいになるよ」
嘘つきかあしゃんの声が聞こえたとき、私は切れた。

「かあしゃん、やめなさい!こんな小さな子をいじめて何が楽しいの?ノンちゃん、ノンちゃん、がんばって!ああ、助けてあげたいけど、誰もドアを開けてくれないの。ノンちゃん、大丈夫?」
精一杯声を張り上げて声をかけると、「たびねえたーん、ぼくもねえたんのとこに行くう」という、更に大きなノンちゃんの声が返ってきた。

そうして、しばらくの間私たちはお風呂のドア越しに叫びあっていたが、それとてもかあしゃんの野蛮な行為を止めるには至らず、私たちの声も枯れかけた頃、ようやくドアが開き、濡れてぺっちゃんこになったノンちゃんが乾かし担当のとうしゃんに手渡されたのだった。

怒りに燃えた私はドアが開くなり、まだかあしゃんのいるお風呂に飛び込んで行った。

連載第51回 (June 15th, 2000)

「あら、たび、なに?ノンちゃんのお風呂は終わったよ」
そうかあしゃんが言い終わらないうちに、私はかあしゃんに駆け寄り、ショートパンツからむきだしになっていた太ももにがっぷり噛みついてやった。椅子に座っていたから、ちょうど私の口の高さにあったからだ。
かあしゃんの太ももはそりゃもうりっぱで、お肉がたっぷりついてるので噛みごたえがあった。思いっきり噛んだので、私の牙は深々とそのお肉に刺さった。一生のうちで、これほど何かを強く噛んだことはなかったように思う。

「いたっ、たび、何すんの?!やめて!」
かあしゃんの叫び声に私は我に帰り、噛むことをやめて牙を抜いた。
私の噛みあとには穴があいており、真っ赤な血が流れ出した。
何ごとかとノンちゃんをタオルにくるんだまま戻ってきたとうしゃんに、かあしゃんは「何でもないよ、たびに噛まれちゃっただけ」と答え、私にこう言った。
「たび、そんなにノンちゃんが心配だったの?でも、誰もノンちゃんのこといじめてなんかいないんだよ。たびだってお風呂に入るでしょう?たまにだけど。それに、それももう終わったから安心しなさい」

私の興奮はまだ続いていたけれど、少しづつ落ち着いてはきていた。
そして、落ち着くにつれ、自分のしたことに驚き、後悔し始めていた。

かあしゃんの傷は深く、血がいっぱい流れたが、場所がお肉だらけの太ももだったため「痛いけどたいしたことない」そうだった。
私はとうしゃんに乾かしてもらっている小さなノンちゃんと、お薬をつけて絆創膏をはっているかあしゃんの間でどちらも心配でうろたえていた。なんだか自分がとてもちっぽけな存在になってしまったような気がして、心細かった。

でも、そのうちノンちゃんは元気をとりもどし(相変わらずぺっちゃんこだったけど)遊ぼう!って私のところにやってきたし、かあしゃんはずっと私に「平気だよ、心配しなくていいよ。たびが後悔してるのはわかってるよ」と話しかけてくれていた。とうしゃんは「災難だったねえ。でもたびは正義の味方だね」と笑っていた。
それに不思議なことに、かあしゃんはなんだか喜んですらいるようだった。

後になって、「そりゃとても痛かったけど、たびが弟のことをとても心配して、彼を助けようとして私を噛んだなんて、すごく嬉しかったよ。ああ、これで二人はちゃんと姉弟になったんだなあって思ったの」ととうしゃんに話しているのを聞いた。
私はたいそう複雑な気持ちになって、穴があったら入りたいよって思った。それと、誓って言うけど、私はあれほど強く誰かを噛んだのはあれっきりで、もう二度としない。誰かを傷つけると、自分も痛いからね。

連載第52回 (July 1st, 2000)

その後、私はノンちゃんと一緒にいるようになった。
慣れてくると、この子のパワーが思った以上にすごいことがわかってきた。

とにかくよく遊ぶ。そして、しょっちゅうわけもわからず走り回っている。
かあしゃんやとうしゃんが大好きで、だっこしたりなでてもらうのがだーいすきだけど、私と追いかけっこをするのも大好きだ。

赤ん坊の常として、こちらの都合などおかまいなし。
私が静かに物思いに耽っていても、のんびりお昼寝していても、遊びたくなると「おねえちゃん、おねえちゃん!」とうるさくつきまとって離れない。
「今はそんな気分じゃないの」って断わっても、「そんなキブンじゃないってなーに?そんなものより追いかけっこの方が楽しいよ」てなもんだ。
最初の頃は、私もそこでキレて、「キーッ、うるさい!嫌なものは嫌なの!!あっち行って!」とどなってたけど、そうすると「なんで怒られちゃったのかわかんないや...」って感じでショボンとしちゃう彼が不憫になって、そのうち3回に1回はつきあってやることにした。

もちろん、赤ちゃんねこのパワーに勝てるはずもなく、いつも私の方が先に息が上がってしまい「これでおしまいよ」と宣言して、休むことになったけど、それでもノンちゃんはうれしそうだった。

そうやってお休みしている間、私はよく考えていた。さっき、めいっぱい走っているときに感じた、あれは何だったのだろう?って。

ノンちゃんと遊んでいるとき、私はいつも無心になる。とにかく一所懸命走る。それはノンちゃんも同じだ。そこがすてきで楽しい。
そういう、何も考えずに走っているとき、心の中で何かがキラッと光ることがあった。それは砂の中に埋もれているガラスのかけらのように、見つかりそうで見つからず、思いもよらないときに光った。なんだかわからないけど、何かとても楽しくてすてきな、ほんとに私が砂の中に落としてしまったもののような気がした。
とは言いえ、いつも一瞬のことだったし、それがチラリと見えただけでもワクワクするようないい気分になれたから、さほど気にせずにいた。なんと言っても私は忘れっぽいねこなわけだし。

でも、あるとき、とうとうそのキラキラしたものが何だったのかがわかった!


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