ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第80回 (September 1st, 2001)

それからは、私とマティスくんとはガラス越しにしか会わなくなった。
マティスくんは人間とだけでなく、ねことも遊びたかったみたいで、よく私たちをガラス越しに呼んでたし、私は別にいいかなって思ったんだけど、ノンちゃんがね、ほら。
それに、鈍いノンちゃんもどうやらうっすら気づいたらしかった。
マティスくんが家にお泊まりに来てたわけに。

「お姉ちゃん、お姉ちゃんもあいつにエッチなことされそうになったんでしょう?」
「まあね」
「じゃあさ、めるちゃんは? めるちゃんもかなあ」
「そりゃそうじゃない?」
「そんな...。あ、めるちゃん!」
お水を飲もうとキッチンへ向かう途中のめるちゃんが通りかかったので、ノンちゃんは声をかけた。
「なあに、お兄ちゃん」
「あのさ、あのさ」
「うん」
「あの...、あの、マティスってヤツにエッチなことされそうになった?」
「さあ。忘れちゃったわ」
「忘れちゃったって...、あ、めるとってば!」
クールなめるちゃんはしつこく食い下がるノンちゃんを後目に、さっさとキッチンへ行ってしまった。

ノンちゃんはめるちゃんを熱愛している。
めるちゃんが好きで好きでたまらないようだ。
でも、ノンちゃんがオカマちゃんでなくったって、それは叶わぬ恋なんだってかあしゃんが言ってた。
「だって、めるちゃんはノンちゃんの姪なんだよ。ノンちゃんはめるちゃんの叔父ちゃんなんだから、だめなんだよ。でも、ノンちゃんにはお母さんがいるからいいじゃない?」ってノンちゃんをだっこしながら独りよがりな説明をしてたけど、そんなの、ノンちゃんに通じるわけないじゃない。

だから、マティスくんはめるちゃんのお婿さんになるために家に来ていたのだ。

かあしゃんととうしゃんは、クールで賢い、だけど本当はすっごい甘えん坊のめるちゃんが大好きで、めるちゃんの赤ちゃんが欲しいと思っていた。
少し歳を取って気持ちに余裕が出てきた二人は、小さな小さなねこの赤ちゃんを育てたいと思っていたのだ。大変なことが山ほどあることも昔よりずっと知るようになっていたけれど、それだけに喜びも大きいと思っていた。
それに、もともとめるちゃんはあまりいない不思議な色の子で、めるちゃんの実家で生まれたばかりのめるちゃんをお世話してくれた、家にときどき遊びに来るかあしゃんのお友だちの女の人とかあしゃんたちの間で「ゆくゆくはめるちゃんに赤ちゃんを産んでもらおう」と最初から話が決まっていたのだそうだ。
ねこの赤ちゃんをいっぱいお世話する専門の人にはとてもなれそうもないって思っていたかあしゃんは、お婿さんのことも、赤ちゃんのことも、こまごまとした事柄は全部そのお友だちにお願いすることにしていた。
そして、そのお友だちのところから「箱入り娘のめるちゃんのお婿さんには、りっぱで経験豊かな子がいいよ」と推薦されて連れてこられたのがマティスくんだったわけだ。

まあ、こんな話は後でかあしゃんから聞かされたことで、そのときは私ですらはっきりとは知らなかった。ただ、女の勘で何となくわかっていただけだ。
ノンちゃんにはそういう勘はないけど、『大好きなめるちゃんを取られそうだ』ということは察していたようで、マティスくんにはすごいライバル意識を燃やしていた。
ちょっぴり可哀想な気もしたけど、ま、どうしようもないわよねって思っていた。

連載第81回 (September 15th, 2001)

それからしばらくしてマティスくんはほんとのお家へ帰って行った。私たちのお家にいたのは、たぶん2ヶ月くらい。
とうしゃんとかあしゃんは、威厳があってりっぱなのに、とても可愛いマティスくんを気に入って「このままうちの子にしちゃおうか。ゆっくり慣らせばノンタも平気じゃない?」なんて話してたけど、マティスくんのほんとのお家の方から「そんなの絶対だめ〜!」って言われたんだって。

ハルくんもマティスくんもいなくなって、うちは普段通りに戻ったけど、やっぱりちょっぴり寂しい気がした。
マティスくんがいた客間には、その後もなんとなくマティスくんの気配が残っていて、今でもときどき(もっと仲良くなりたかったなあ。もっと歓迎してあげればよかったなあ)って思う。

ノンちゃんはまためるちゃんを一人占めできるようになって喜んで、めるちゃんをいっぱいなめてはマティスくんの匂いを取ろうとしていた。
ノンちゃんって、めるちゃんに他の子の匂いがつくと、いっつもそうで、めるちゃんが「もういやだってば!」って逃げちゃうくらいなめまくる。

めるちゃんはお婿さんがいなくなって寂しがってるのかな、と思ったけど、別に全然そうは思ってないみたいだった。というより、ノンちゃんのこともうるさそうにしていて、私たちとはあまり遊ばず、かあしゃんにべったり甘えるようになっていた。

かあしゃんの膝はノンちゃんのもので、しょっちゅうだっこされていたのだけど、この頃には違っていた。
めるちゃんが自分から「かあたん、だっこして」とおねだりして、自分からお膝に登って、グルグル言いながら気持ちよさそうにだっこされるようになったのだ。
それに、いつでもかあしゃんのそばにいるようになった。
控え目で、ノンちゃんがかあしゃんに甘えていれば、自分はそっとそばで見てるような子だったから、その変貌ぶりにはみんな驚いた。
夜もかあしゃんと一緒にねんねしたがり、かあしゃんを死ぬほど喜ばせていた。

そして、めるちゃんが変貌を遂げた頃、かあしゃんはめるちゃんをとても気遣うようになっていた。とうしゃんもだ。
いつもとは違うおやつが出たり、ごはんにも茹でたお肉が出たりした。もちろん、私たちも同じようにもらったけど、どうやらそれらはめるちゃんに食べさせたくて用意されたもののようで、かあしゃんは食の細いめるちゃんに栄養価の高いものをたくさん食べさせようと腐心していた。
それに、めるちゃんのことをいつも気にしていた。めるちゃんをなでたり、体重を量ったり、体を調べたり。ノンちゃんが激しい遊びをしかけたら止めに入ったり。
そうそう、人間の赤ちゃん用の体重計がうちに来たのものこの頃だ。私たちも体重測定されたけど、めるちゃんは毎日体重計に乗せられて、それはそれでうっとうしそうだなあって思った。

連載第82回 (October 1st, 2001)

かあしゃんたちは、体重計の他にも、いろいろと赤ちゃんグッズを見ては欲しがるようになっていた。赤ちゃんグッズって、人間用のだ。赤ちゃん用のお布団とかベッドとかサークルとか。ベビーカーまでだ。
人間の赤ちゃんが来るのかなあ、と思ってたら、そうじゃなくてめるちゃんの赤ちゃんを待ってたのだった。

めるちゃんに赤ちゃんができたかどうか、かあしゃんは今ひとつ自信がなかったようだけど、マティスくんがお婿さんになった後のめるちゃんの微妙な変化は「たぶん赤ちゃんができたらしい」っていう感じだったみたいで、かあしゃんは初孫が生まれるおばあちゃんみたいにそわそわしていたし、とうしゃんは初孫が生まれるおじいちゃんみたいにニコニコしていた。そんな二人に甘えるめるちゃんも初めての赤ちゃんを産むお母さんみたいに幸せそうだった。

「そんなに人間の赤ちゃん用のものを用意しても意味ないよ。それに、あまり早くから準備しなくてもいいんだってば」とブリーダーのお友だちに笑われて、ベビーキルトを作るのはやめたんだって。

めるちゃんの体重は途中まで着実に増えたけど、ある頃からあまり増えなくなってしまったので「赤ちゃんはいても2匹くらいかなあ」と考えたかあしゃんたちは「そのくらいだったら両方ともうちの子にしちゃおう」と話していた。

ある日テレビを見ていたとうしゃんが突然「『うるる』と『さらら』」と呟いた。その頃テレビのCMでそんな名前のエアコンの宣伝をしていたのだ。
「女の子たちだったら、『うるる』と『さらら』って可愛いじゃない?」って。
かあしゃんは大笑いしたけど、確かに『うるる』と『さらら』は可愛い、『めると』とも似た感じだし、そんな双児の女の子がほしい!って受けて、「めるちゃんの赤ちゃんは『うるる』ちゃんと『さらら』ちゃん!」って決まった。
とうしゃんったら、お仕事から帰って来るなり「うるるとさららは元気かい?」ってめるちゃんのお腹に話しかけるのよ。まあ、もうすっかりおじいちゃんねって思ったわ。

めるちゃんの出産予定日が近づいたある日、とうしゃんとかあしゃんはめるちゃんを病院へ連れて行った。
レントゲンを撮ってもらって、赤ちゃんの数を確認するためだ。赤ちゃんが何匹いるかわかっておかないと、お腹の中にまだ赤ちゃんがいるのに、もう全部お産が終わったって勘違いしちゃったりして危険だからなんですって。
うるるとさららはちゃんと女の子だったのかな?それとももっといたのかな?って待ってたら、なんだかがっかりした様子で帰って来た。

うるるもさららもいなかったから。
めるちゃんのお腹はからっぽで、赤ちゃんはだーれもいなかったのだ。
「『そうぞうにんしん』だったの」かあしゃんが言った。
「めるちゃん、赤ちゃんいなかったね。残念だったね。いると思ったのにね」
それでもめるちゃんは、予定日まで今までと同じようにかあしゃんに甘えて、予定日にはまるで本当に赤ちゃんを産むみたいに不安そうにかあしゃんから離れなかった。
そして、その日が過ぎたとたんに、憑き物が落ちたように元気に跳ね回るようになった。
不思議なものだ。


前の分へ

戻る

次の分へ