ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第19回(February 15th, 1999)

昔、私が可憐な少女ねこだった頃、何回かリード付きで散歩に行ったことがある。
なんかやな気分だったけど、赤い可愛い首輪をみんなが似合うって誉めてくれるから、まあこれもいいかなって思ったのだ。

ところが、外に出ると、会う人会う人私を見てクスクス笑うではないか。そして、途切れ途切れに「まあ ... ねこが ...」「やだ ... ねこなのに ...」という囁き声が聞こえる。
察するに、ねこのくせに、首輪と紐つけて散歩してるなんて変だと笑ってるらしい。
非常に不愉快になった私は、座り込んで歩くのをやめた。齢1歳にならずして、私は誇り高いねこだったのである。

慌てたかあしゃんたちは、私を抱いて近くの公園へ行った。ここで遊ばせて、私の機嫌を取ろうと考えたのだ。
確かに、公園にはお花や木があって綺麗だったから、機嫌をなおしてやろうかな、と思ったそのとき、事件は起こった。

「あ、ねこだ、ねこちゃんだー!」「わーっ、だっこさせて!」「きゃー!!」

かん高い声がいくつも聞こえたと思ったら、あっという間にガキども、失礼、子供たちに囲まれてしまったのだ。
パニック状態になった私は、かあしゃんを蹴って逃げ出した。それでも子供たちは恐るべきスピードで追いかけてくる。
ますます激しいパニックに襲われた私は、手近な木に登った。
どんどん登った。
そして、おりられなくなってしまった。

連載第20回(March 1st, 1999)

「手近な木」は、実は公園で一番背の高い木だったのだ。
「たびー、降りてきてー!」かあしゃんの声が遠くから聞こえる。降りろと言ったって、無理な相談だ。もうこれ以上上にも行けず、ましてや下になんか絶対行けない状態にいたのだ。
「これが『にっちもさっちもいかない』ってやつだな」なんて、ぼーっと考えていた。

下の方では人が集まり始めていて、ちょっとした騒動になっていた。
あれこれ言う人の声が聞こえるが、何を言ってるのかはよくわからない。たぶん、降りてこいとか、誰か行けとか、そんな無責任なことだったのだろう。それから、私をこんな状況に追い込んだ子供たちの叫び声。私の恐怖は嫌が応にも募っていった。

そのうち、騒ぎにあきた人々が散っていき、少し静かになった。木の下にはかあしゃんと前のとうしゃんと、あとはほんとに心配してくれている数人の人だけが残っているようだった。
「たびちゃーん、そのまま動かないで、少し待ってるのよー」かあしゃんの声はよくわかった。
わかったよ、かあしゃん、でも私、動くどころじゃないのよ。
心の中で思ったけど、恥ずかしい話だが声も出なかったのだ。
それでも、しばらくそうしていると、不思議と落ち着いてきた。きっと、かあしゃんと前のとうしゃんが何とかしてくれる、と心の奥で信じてたのだと思う。

昔々、私のご先祖様も、こうして木に登ったのかしら、みんなちゃんと降りることができたのかしら。きっと敵に追い掛けられて登ったはずだから、ご先祖様の敵も子どもだったのかな、違うならそれってやっぱり子どもに似てるんだろうな。
永遠とも思える長い長い間、そんなことを考えていたら、すぐそばに前のとうしゃんの顔があってびっくりした。

前のとうしゃんは、どこからか大きな脚立を借りてきて、えっちらおっちら私を助けに来てくれたのだった。
私は思わずしがみついていた。
あれは夏だったから、前のとうしゃんはタンクトップにショートパンツ姿で、むき出しの素肌にずいぶんたくさん引っ掻き傷をつけてしまった。
もう長いこと会ってないけど、あのときはどうもありがとう。私は今でも感謝しています。

連載第21回(March 15th, 1999)

さて。
そうした諸々のことは、私の心に傷をつけ、私はすっかりリードが嫌いになったというわけだ。しごく当然のことだと思う。
もちろん、かあしゃんもそれは知っていたし、私にリードをつけようとしたとき、思いつかなかったわけはないと思うが、背に腹はかえられぬといったところだったのだろう。(私は寛容なねこなのである。)

文字どおり紐付きで外に出た私は、縁の下に入った。どんどん入っていって、今度はひっくり返ってやった。そして泣きわめいたのだ。

「いやだー、いやだー! 首輪を取ってちょうだい! リードなんて大っきらい!!!」

とうしゃんとかあしゃんがどんなになだめようと、聞く耳を持たなかった。
私は怒り、激しく主張し続けた。
思えば、あれほど怒って何かを主張したことはあの時が初めてだったのではないだろうか。
後でかあしゃんは「あーやって駄々こねたなー」と、自らの子供時代を思い出して恥ずかしがっていたが、これは大変失礼なことだと思う。
私は玩具を買ってほしくて駄々をこねたのではなく、自己主張をしただけなのだ。

どうやっても私が機嫌をなおさず、自分から出てくる気配がないことに気付いた二人は、私を懐柔することをあきらめ、ついには強行手段に出た。
とうしゃんが縁の下にもぐってやって来たのだ。
50〜60センチほどの高さの縁の下に、大柄なとうしゃんは無理矢理入って来た。しょえーっと驚く私を捕まえると、私を前にかかげるようにして匍匐前進で外に出した。
あのときの様子を、外で見ていたかあしゃんは「たびが左右に揺れて、そのたびに『にゃ、にゃ』とないてて、悪いけどちょっと面白かった」と話していた。ふざけたやつだ。
縁の下の外でかあしゃんに渡されて抱かれた私は、怒りを込めて、ちょうど出てきたとうしゃんの頭をはたいてやった。

この事件で、二人は私にリードをつけることをあきらめたのだ。ささやかな勝利であった。


前の分へ

戻る

次の分へ