詩を評価するということ。
私は、先生にはかなり恵まれていたと思います。高校の頃には大っきらいな先生がいたりしましたが(笑)、担任の先生たちはみんなそれぞれの良さがあり、今思い返してもどの先生も好きです。
でも、大人になった今の私が考えると、好きだけど、先生、あれはよくなかったね、と思うこともあります。
小学校5・6年の担任は、20代後半の男の先生で、全然ハンサムじゃないけど、面白くて楽しくて熱心でした。
大学時代は落語研究会にいたそうで、あまった時間には落語を聞かせてくれました。おかげで落語が大好きになったし、「時そば」「寿限無」「饅頭怖い」など、先生に聞かせてもらった落語は今でも空で言えます。
それに、先生は私の所属する演劇部の顧問でもありました。
私は先生が大好きで、先生がみんなに課題として出した「詩のノート」も毎日提出していました。
わりとよくありませんか? 子供に詩を書かせるのって。情操教育と文章力の向上を狙ってでしょうか。先生はたくさん提出されるみんなの詩を丁寧に見てくれていたのですから、偉かったなあと思います。
もともと詩や作文を書くのが好きだった私は、先生に誉められるのがうれしいこともあり、分厚いノートにたくさんの詩を書いては提出していました。
ところが、ある日先生から返ってきたノートに、私はびっくりしました。
それは、夏蜜柑のことを書いた詩でした。夏蜜柑の厚くてごつい皮をむいたときの、思いもしなかった瑞々しさに感動して書いた詩です。あの皮をむくときの音、あの音を私はこう書きました。
「さわ、ずく」
だって、私にはそう聞こえたのです。
そして、我ながらあの感じにぴったり!と喜んでいたのに、詩の横には「そんなふうには聞こえません」と赤ペンで書いてありました。
こんな古いこと、よくはっきり憶えているなあ、我ながらしつこいぞ、と自分でもあきれていました。でも同時に、子供の可愛い詩を読んで、びっくりするようなその視点に感心するとき、また、それを暖かく評している人の言葉を目にするときなど、折にふれてあの詩と、それに対する先生の評価を思い出しては「私のあの詩は?」と小さなひっかかりも感じ続けていました。
それが少し前、全く同じエピソードを漫画で見たのです。
ビッグコミック・オリジナルに連載中の『光の島』という、南の小さな過疎の島を舞台にした物語です。学校があることで村が村として存続できると考えた村びとたちは、それが自分たちのエゴなのか、これで正しいのかと悩みながら、村の外から子供たちを里子として預かり、大人も子供ももがきながら自分の存在理由を見つけようとしています。
この詩のエピソードは、不登校に苦しみながら島へやってきた少年の、いくつかの不登校の原因の一つとして描かれます。彼が書いた少し風変わりな擬音は、私のそれ同様あっさりと教師に否定されます。
「先生は『自分の感じたことを自分の言葉で書きなさい』と言ったのに」
「私にはそんなふうに聞こえるのに、そう書いてはいけないの?」
「それなら『詩って自由なものなんだよ』なんて嘘じゃないの」
「それとも、私がへんなの?」
そう思ったけれど、彼ほどデリケートでなく妙に諦めがよかった私は、それでも別段学校嫌いになるわけでもなく、先生のことも大嫌いにはなりませんでした。でも先生のことは信用しなくなりましたし、何より詩を書くことが嫌いになりました。
それから10年近くも経って、詩を書くボーイフレンドに現代詩を薦められるまで、読むことすらいやでした。新しく目にした詩たちは、教科書に載っているようなものとは違う自由奔放さで私を魅了し、私を肯定してくれました。それまでのブランクを取り戻すように読みあさったものです。そして、私は詩が好きだったのだ、と再認識したのでした。
彼の深い絶望の様子を読んで、ああ、私もそうだったのだ、あれは簡単に自己否定されたことに対する苦痛だったのだと客観的に理解することができました。私もとても傷ついて、先生のことを心のどこかで許せなかったから、何十年も棘のように心に刺さっていたのです。そして、こういうことって結構あることなのかもしれないな、と苦い気持ちで思いました。
先生はただ単にそのとき忙しかったのかもしれないし、虫の居所が悪かったのかもしれません。大人になった私はそんなふうにも思えます。
でも、子供は違います。
柔らかい心や言葉を持った子供の詩を正しく理解して評価できる大人など、どれほどいるでしょうか。
お願いだから薄っぺらいお手軽な批評などしないでほしい、そして、子供たちのことを否定しないでほしい、他のどんなことででも。改めてそう思ったのでした。
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タイムマシンにお願い
唐突ですが、もし昔に戻れるとしたら、なにをしたいですか?
以前、つれあいと『リプレイ』というSF小説を読んで、いろいろ話し合ったことがあります。これは、しゃっくりのように時間がくり返される人々の話で、もし自分が同じようになったらどうするか、についてです。私たちは脳天気2人組なので、こういう無責任な『もし〜だったら』話ではかなり盛り上がります。
この小説みたいに何度もくり返すのはいやだから、じゃあ、1回だけ戻れることにしよう(自分勝手)。それなら、いつに戻りたい?
今の知識と感情のままで戻ると仮定したら、私は高校生くらいになって勉強しようかなあ。つれあいは、それもいいけど面倒だから会社に入ったあたりまででいいや、という意見でした。小学生あたりまで戻るのはめんどくさくてヤダという点では無精者の私たちの意見は一致しました。
勉強をしたい、という私の気持ちは立派そうですけど、決してそうではありません。ほんっとうに勉強嫌いで勉強してないので、今になってすごく後悔しているからです。
勉強が嫌いだったので、科目の少ない私立文系しか受験しなかったし、たいして考えもせずに学科も選んじゃったし、その専攻科目だって全然モノにならなかったし。
この歳になって、もっとちゃんと考えて勉強すればよかったと思うようになりました。そういう気持ちって、みんな多かれ少なかれ持ってますよね?
あとは、思いのほか早く亡くなった父に、もっと優しくしておけばよかったって心から思います。
よく考えても、その他にはあまりやりなおしたいと思うことってありませんでした。まあ失敗は多々あれど、それがあって今の私になってるんだし、しかたないやって感じで。結局いいかげんな性格なんでしょうね。もっと勤勉な性格にならないと、やりなおしたところで同じことなのでしょう。
でも、一つ、やってみたいことがあります。
昔の私、そうだな、高校生くらいの私のところに行って、その後の私のことを聞かせてやるのです。(タイム・パラドックスはこのさい考えナイ)
『将来のあなたはね、ねこを4匹も飼ってて、まだほしいとか思うようになるわよ。それからね、お腹の出た1回りも年上のデカいオッサンと一緒になるんだけど、そのオッサンはアートにはあまり興味なくて、なんと体育会出身!
仕事もけっこうがんばるけど、結局主婦になってケーキ焼いたりお裁縫したりするようになるのよ。』
ひどいひどいねこアレルギー持ちで、ほっそりとした小柄な少年っぽい容姿が好みで、アーティスト志向で、体育会系のオトコは生理的に苦手で、自分はたぶん一生働くなと思っている、お料理もお裁縫も大の苦手の若い私が、ものすごーく驚いて呆然とする姿を見てみたいもんです。
...って、自分を唖然とさせてどうする。いや、人生は諸行無常だと伝えたいので。(ウソ)
たぶん、ちょっと落ち込むと思うので、最後にこれを告げてやろうかと思います。
『それから、弟は頭がちょっとウスくなっちゃって、お兄さんと間違われるようになるわよ』
弟は昔女の子に間違われるほど可愛かったので(姉弟でなく兄妹と思われたりした.....)これを聞いたらおかしくて笑っちゃうかも。
まあ、ちゃんと勉強した方がいいよ、なんてまともなアドバイスしても絶対聞かないだろうというのは、自分が一番よく知ってますから。
ただ、これを聞いた若い私がやる気をなくすと困るので(笑)、話したことはすぐ忘れさせようと思います。未来のことは知らない方が楽しいです。
ところで、今回のタイトルは私が大好きなサディスティック・ミカ・バンドの名曲のタイトルです。ご存知の方はちょっとトシですよね。(笑)
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ねこに学ぶ処世術
昨年末にミルタがやってきて、我が家のねこはとうとう5匹になってしまいました。
最初にノルタが来たときは、たびの逆鱗に触れて大変でしたが、その後は嘘のように楽でした。
まず、我が家では別格に偉いたびが新入りを認め(驚くことに、めると以降は、まずたびがOKを出すようになりました)その後は毎回それまで末っ子だった子がチビの面倒を見る、というのがパターン化しています。ノンタがめるとを育て、めるとがくるるを育て、目下くるるがミルタを育てているというわけです。
たびはノンタを育てはしませんでしたが、それでも我が家の習慣(彼女のルール?)を叩き込んだというか、結果的にきっちり躾けたという感じなので、私が躾をしたのは、たびだけということになります。このお気楽さがねこを増やす原因の一つにもなった気がします。って、いいのかな。(笑)
ねこも増えてくると、それぞれの個性が際立ってきて、とても面白いです。
最近彼らを見てて思うことは、「おねだりは、めると方式で」ということです。
めるとの部屋にも書いたのですが、彼女はとても「読める」子で、押し時/引き時を非常に心得ています。これが、押せ押せでくる他の子たちの間に入ると、どれほど効果的なことか。
一番押しが強いのはたびでしょう。彼女は粘着気質でしつこく、望みが叶えられるまで、とにかく大声でなきます。おもちゃ売り場でひっくりかえってる子供みたいです。
ノンタもなかなかです。彼はその無邪気さで、こちらの都合などお構いなしに、だっこして欲しいときは、私が立っていようと動いていようと無理矢理よじ登ってきます。6キロ近いノンタを片手でだっこして家事をすることもしばしばで、私の腕力は鍛えられました。
くるるは「他の人のものが欲しい」という悪い癖があって、誰かがだっこされているときに限って「私も〜」と膝に上がってくるので、よくノンタと揉めます。
ミルタは...まだ赤ん坊なので、とりあえず突っ込んでくるって感じかな。(笑)
めるとのおねだりは一味違います。
こちらの余裕があるときに、的確に望みを伝え、叶えさせるのです。
例えば、おやつがほしいとき。私のところに来て、小さな可愛い声でなき、或いは、座っている私の肩に手を乗せ(これがめちゃくちゃ可愛い!)注目させてから、こちらを振り返りながら台所まで誘います。そして、キッチンマットの上でコロン! そして、一度おやつをもらったら、その時はそれでおしまいで、たびのように「もっともっと!」とねだることはありません。もしまた欲しくなったら、そのときねだればいいのです。
彼女のおねだりには、つれあいも滅法弱いです。
私が書斎にこもっているとき、ねこたちは入れないことになっているのですが、めるとだけが来ることがあります。
つれあいによると、テレビを見てたら、めるとが肩を叩いて「お父さん」と可愛い声でなくのだそうです。目尻を下げて「なんだい?」と聞いたら、リビングのドアの前まで小走りに行ってに座り、小首をかしげるようにして振り返り「お願い、開けて。お母さんのところに行きたいの」と言われるんだそうです。それじゃ連れてこないわけにはいかないしさー、だそうで、デッレデレです。
デレデレのお父さんにドアを2枚開けさせて書斎に来ためるとは、私にだっこされてゴロゴロです。他の子がいるところでは絶対にしない甘え方なので、私も思わず仕事を中断してしまうんです。修羅場でも。
つれあいと二人で、よく「めるとのおねだりだけは何があっても聞いちゃうよね」「だめだよって言えないんだよね」と話し合います。
そんな断れないねだり方のポイントは、どうやらこの4つ:
1 タイミングを見計らう。 |
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ねだる相手の様子を見て、余裕があるときにねだった方が当然成功率も上がる。 |
2 これというときに絞る。 |
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しょっちゅうねだられるといい気はしないし、おねだりに緊迫度が欠ける。 |
3 しつこくしない。 |
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キミは満足というものを知らないのか?!とムカつかれる。(たびにありがちなパターン(笑))
何ごとも引き時というものが肝要。 |
4 あなただけが頼りなの!というムードを前面に出す。 |
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めるとは絶対私が一番好きですが(ばか)つれあいにおねだりするときは、「お父さんしかお願いできる人がいないの」ってなムードと甘い声でメロメロにしているようです。 |
もともとめるとは、たおやかというか、ゆったりしていて独特の色気がある子で、無理は言わず誰にでも優しく、懐の深さから人望ならぬニャン望が高い子なので、とりわけたまに言うおねだり(わがまま)が可愛いというのもあります。
みなさん、少しはご参考になったでしょうか。
ミルタが来てからめっきり大人になったくるるが、最近ちょっとめるとのまねを始めたようで、可愛さ倍増中なんですよ。
私も2003年は、めるとに見習っておねだり上手になりたいと思ってます。あ、でも、普段は控え目でいないと、たまのおねだりが光らないのか。うーん、困った。
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夜のデート
つれあいと私は、時々近くの映画館にレイト・ショーを観に行きます。ときにはけっこう混んでいてびっくりすることもありますが、おおむね空いていて(1度なんて私たちの他にはあと2人だけだったってこともありました。経営は大丈夫か?!と心配になったくらい)気楽にのんびり映画鑑賞ができるからです。
ありがたいことに、家から歩いても7〜8分ほどのところに映画館があって、いつも5本くらいは上映されているので、急に「今日はテレビも面白いのないし、映画に行こう!」と決めても大丈夫なんです。
映画の後は、近くのコーヒーショップやオールナイトのファミリーレストランでコーヒーを飲んで夜中に帰宅します。ちょっとした夜のデートです。
これがすんごく楽しい!
実は、私は夜に出かけるのが大好きなんです。
別に映画に行かなくてもいいし、コーヒーを飲まなくてもいいんです。夜中に突然コンビニエンスストアに行くだけでもわくわくします。つれあいは私がとても喜ぶのを面白がって、ときどき急に「ドライブに行こう」と連れ出してくれます。と言うのも、大好きなくせに、夜出かけるなんて、思いもよらないから。
嘘みたいですけど、私はとても躾の厳しい家に育ちまして。(言ってて自分でも嘘くさい......)門限なんかも、そりゃもう厳しいものでした。
高校も大学も通学に2時間近くかけていたので、ちょっとでも放課後遊ぶと門限に遅れて、始終親子喧嘩してました。だって、門限7時とか言うんですよー、遊びたい盛りの娘に。
文化祭の前なんて、部活の練習を終えて帰ると9時過ぎてしまって、家の前で父は待ってるし、母は機嫌が悪いし、もーたーいへんでした。私は写真部と演劇部に入っていたので、写真部の方はともかく、演劇部の方は遅くまでみんなで練習するわけで、私だけ帰ったりできないんだってば、としょっちゅう揉めてました。(余談ですが、写真部に入ったときも、暗室に男の子と一緒に入るのが気に入らないという理由での反対を押し切った経緯アリ。つーか、写真部なんて、女の子は私と友だちのまりちゃんの二人だけだったことは知らせてませんでしたけど(笑))
結局、学校を出るときに電話を入れること、家の近くの駅まで父が迎えに来ることで双方妥協しましたが、つらつら思い返せば、私の青春は親との闘いの日々でありました。(向こうもそう思ってるに違いないけど)
大学に入って、授業が遅くまである日もあるため、さすがに門限は8時になりました。でも、これじゃコンパもなにも出られやしません。たまに出ても、興が乗る頃には後ろ髪を引かれながら帰らなければなりません。
私にもつきあいっていうもんがあるのだ、と再三親に訴えて(「そんなつきあいなんて、しなくてよろしい」と再三言われましたが)なんとか9時くらいまでなら、たまにならいいということになりました。その場合は必ず電話を入れなければなりません。「電話がなかった」なんて言い訳をしようもんなら、そんなことは絶対ない、ちゃんと探さなかったし、家で心配している親に連絡をしようという気持ちに欠けていたのだ、と更に叱られました。まあ、実際その通りだったので(はは...)ぐうの音も出ませんでしたけど。あの頃携帯電話がなくて、ほんっとうによかったです。あったらしょっちゅう親から電話があったかも。いや、あった方がよかったかな、ごまかしがきいたかな。(おいおい)
バイトも先生に紹介してもらった家庭教師のみ、それも家の近所の子で(だから中学の先生に紹介してもらった)、帰りは父が迎えに来る、という条件でやってました。
それでも、祖父譲りの、まじめな両親にとっては目を剥くような自由奔放な性格は押さえられず(笑)、できる範囲で遊んでは、ときどき逸脱してバレ、こっぴどく叱られてましたが。
まだまだ青臭かったあの頃、仲のいい友だち数人と私は、よく文学論や芸術論、哲学論などを戦わせていました。(きゃー、はずかしい)
親の心配するようなことは全くない間柄だったし話題だったのですが、それでもその友だちというのが年上の男の子たちだったので、やっぱり(笑)親は嫌がりました。だいたいが、私の、そういうことを論じる生意気なところを嫌っていましたし(私自身、今思い出すと赤面しちゃう)。そういうことを知っているため、彼らは気を遣ってくれて、いつも私の家の近くでお喋りして、門限に間に合うように送ってくれたものです。
それが、ある時、話が盛り上がり、全員がもっともっと話していたい、という気分になったのです。こう、なんというか、ハイになってたんですね。(笑)
それで、ここからが親はいまだに知らないことなので(ありがたいことに父は知らずに逝ってしまいました)、母はムスメのこんな文字だらけのサイト見ないという大前提に立って、でもちょっとビクビクしながら告白します。
私は夜中に家を抜け出してました。
あー、言っちゃった。
「お宅の家族って寝るの早いからさ、みんなが寝静まった頃に車で迎えにくるから、抜け出しておいでよ」誰かがそう言い出したとき、そんなこと絶対できない!っていう気持ちと、ものすごく楽しそう!っていう気持ちが交錯しました。最初は「できない」前提でおもしろおかしく「ああしたら」「こうしたら」と話していたのが、どんどん盛り上がり、ついに実行することになったのです。
家族が寝静まった夜中、私はパジャマ姿で上着と靴を持ってこっそり家を抜け出しました。なんでパジャマ姿かというと、家族の誰かに見つかってしまったとき「トイレに行ってた」とか「お水を飲んでた」とか「寝ボケてた」とごまかすためです。初めて抜け出しに成功したときは、ものすごい達成感がありました。(笑)
友だちの車の中で着替えて、当時はまだ珍しかったオールナイトのファミリー・レストランに行ったり、誰もいない港に行ったりしました。
数時間遊んだ後、また車の中で着替えて、パジャマ姿で家に戻るのです。
バレたら死ぬほど叱られて外出禁止令が出ること間違いなしの行動だったし、だいたい夜出歩くこと自体私には非常に珍しいことだったので、ものすごいスリルと感動の数時間でした。その後も何度か同じようにして遊び、やがて私は就職し実家に帰る友だちもいて、このスリルある夜遊びも終わりました。
就職してから半年ほどで私は実家を出て一人暮らしを始めるのですが、仕事がハードで残業続きだったせいもあり、あまり夜遊びもしなくて(あの頃ほど楽しくなかったし)、自分でも意外なほど規則正しい生活をしたりします。「親の反対を押し切って」っていうのは、強烈なスパイスだったんですね、きっと。
経済的な自立と共に、私の親は私も自立したと認めてくれ、うるさく口出しすることは一切なくなりました。あの夜遊びは、親へのレジスタンスでもあったんだなあと思います。結局私はとても子供っぽくて、あれはずるい反抗の一種だったわけです。
あの夜遊びの終わりと一緒に、私にとっての一つの時代が終わったんだなあ、なんておセンチな気もしたりして。
それで今でも夜中に家を出る、とりわけドライブをするって言われると、ものすごくわくわくします。あの頃と同じように、いけないことをするみたいで。それと同時に、門限がない、誰にも叱られないっていう開放感で「オトナっていいなあ」と言ってしまって、つれあいに笑われたりします。オトナって、もう何歳さ?って。
でも、大好きなのに、自分からは決して夜の外出を思いつかないあたり、昔の厳しい躾が効いているというか効きすぎというか。ほんとにオトナなのか?っていう感じもします。(苦笑)
でもでも、みなさんだって、いくつになっても子供の頃に厳しく言われたことって、守らないといけないような気がしますよね?
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学習するワタクシ
えー、十人十色と申しますが、十猫十色という言葉もあるように存じます。
おい、はっつあん...って落語じゃないって。花粉症から風邪に移行したらしく、週末からこっちひどい状態で薬漬けなもんで、ちょっとハイなんでございます。お許しを。げほげほ。
ねこたちには、それぞれ妙な嗜好がありますよね。たいていは「やめて〜!」と叫びたくなるようなもので、ねこがいるお宅なら、どこでも多かれ少なかれこれに対処しているのではないかと思います。
さすがに5匹にもなると、誰かがやったことがある妙な嗜好については、それなりに未然に防ぐ努力をしているつもりなのに、新入りは常にオリジナリティー溢れるいたずらをしてくれて感心させられることがあります。(いや、感心するなって)
そして、あほーな私は改めて「そういうことはしてはいけないんだ」と学習することになるというわけです。
たいていの妙なことは、まずたびがしてくれました。
彼女が好きなのは、「フワフワ」と「ツルツル」です。
カシミアのマフラーは、フリンジが何本も食べられてしまい、セーターも何枚かやられるに至り、「上質のフワフワ物はとにかくしまう」「たびさまがどうしてもとおっしゃるなら、そのセーターは差し上げるしかない」ということを学びました。
「ツルツル」好きの方は、スーパーマーケットの袋は速攻しまう、ということは学びましたが、冷蔵庫をなめるという妙な癖に関しては、ま、とにかく冷蔵庫をきれいにしておくしかないんですが。(どうしてあんなものをなめるのが好きなのかは、いまだに不明)
また、お風呂はもとより洗濯機にも落ち(すすぎ中の洗濯機の中で回る小さなたびの姿はシュールですらありました)お風呂も洗濯機もきっちり蓋をすることを、かなり早い時点で学びました。
網戸も上手に開けるので、網戸ストッパーは必需品となり、思いついたらどこでもケポケポと吐いてしまうので、よい絨毯などは絶対敷かず、家中あちこちにすぐに洗える毛布が置いてあったりするようになりました。
ノンタがやってくると、「ねこも噛む」という、考えてみれば至極当然のことを学びました。これは、キッチンカウンターの上にたまたま置いてあったお札を、しかもたくさんあった千円札でなく、たった1枚の1万円札をビリビリにされて学習したことです。(なぜか「ねこにやられた」というと怪しまれそうな気がして、銀行で「犬にやられた」と嘘をついて取り替えてもらって事なきを得た)ノンちゃんは1万円札の方が価値があるってわかったから賢い、と妙な親ばかつきで...。
また、彼はゴミ箱も漁ってみたいという好奇心の持ち主だったため、彼の気をひきそうなゴミは、全部いったん冷凍してしまうという技を私たちに与えてくれました。おかげで我が家は臭いゴミとは無縁です。
更に、彼は「ねこは紐は食うものだ」と教えてくれたので、何日も紐が出るまで検便をし、ウンチまみれの紐に感激するとともに、長いものは一切隠すことを学びました。
それに加えて、めるとはパーカーの紐まで食おうとするため、「パーカーの紐は襟元に入れる」という習慣もつきました。
その彼女のへんな癖は、雑誌などを手で弾くことです。これ、ちょっと説明しづらいんですが、雑誌や段ボールなどを片手押さえてもう片方の手で持ち上げようとするんです。片手で押さえているので絶対持ち上がらないし、ジャリ、ジャリ、と耳障りな音がしますが、本人は無心にずーっとやってます。
エアキャップを丁寧に1個ずつプチプチつぶす趣味の人っていますよね。本人の無心な様子と、それに反してはたから見るとじつーに非生産的でしかもちょっとうるさくてカンに触る感じが、まさにあれと同じなんです。
これってストレス発散なのかなあとも思うので、いろんなことでストレスを感じさせてるであろうめるとには、ちょっとイラつきますが許しています。なので、ジャリジャリやられたくない大事な書類や雑誌は、きちんとしまいます。
あとはネジネジ。パンの袋などを閉じる短い針金みたいなあれです。あれが大好きなので、輪ゴムとネジネジはすぐに引き出しかゴミ箱に直行です。
くるるが来たときには、我が家は大改造を強いられました。彼女は「物を落とす」ことが大好きで、その上「光り物」好き。おかげでキッチンカウンターはみごとにさっぱりしたし、キラキラ光るクリップ類(光り物っつっても、我が家に宝石はナイ)は全部奥にしまわれました。(くるるは、なぜかクリップをどこからか見つけてきてはお風呂の洗面器(たびの要請により常に水入り)に入れるのでした。あれは、獲物を水に入れてコロしてるつもり???)
冷凍することで漁られることのなかったゴミ箱も、生ゴミでなくプラスチックゴミを漁るという新しい技をあみ出し、プラスチックゴミに関しては蓋付きのゴミ箱が導入されました。
さあ、ここまでやったんだから、もう何もないじゃろう!と思ったのは私の赤坂見附、いや浅はかさ、ミルタもオリジナリティー溢れるいたずらをやってくれました。
彼はいろんな狩りをやってくれるんですよ。鍋掴みやらスポンジやらを捕まえてきては走り回ってます。また、スリッパも餌食になっているようで、痛みが激しいです。
更に、くるるですら「匂いがしないもん」と触らなかった生ゴミにも手を出し、ついに我が家のゴミ箱は全部蓋付きと相成りました。
どうやら最近では「お風呂の栓を抜く」という荒技に挑戦しているらしく、時々お風呂から「ゴトンゴトン」と妙な音がします。これはたぶん成功しないと思うけど。
かくして5匹のねこたちのおかげで、我が家は昔よりずっと整とんされているようになりました。みなさんのお宅はどうですか?
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