ねこのあな


― 森のねこのたわごと ―


3度目の帰朝報告。(またまた北欧ねこ三昧珍道中記 1)

10月11日の朝、無事北欧ねこ三昧旅行から帰って来ました。
今回の旅行は比較的早く準備も始め(と言っても泥縄には違いなかったのですが)今までの旅行の中では一番のんびりしたものになるはずだったのに、やっぱりそうは問屋がおろしませんでした。
なにしろ、出発前3週間前にあのアメリカへのテロ攻撃が始まったのですから。

ニュースであの衝撃的な映像がガンガン流れる中、私と、一緒に行く今泉さんは「ほんとに行けるのかな〜」なんてちょっとは心配してましたが、結局は「でも、行き先はヨーロッパの田舎だし、何とかなるよね〜」(この語尾ののばし具合にお気楽さが現れている)とのんびり構えていました。
旅行中も、政治的な話はともかくとして、テロの影響で来るのが大変だったでしょう?程度の話題は出るかな、と思っていたのですが、まーったく、テロのテの字も話題にのぼることはなく、CNN や BBC のニュースだけが情報源といった感じでした。
日本に帰ってから母親に電話したら「身替わり観音さまにお参りした」とか「心配性の弟が毎日『姉は無事か、いつ帰ってくるのか』と電話をよこした」とか、報復攻撃が始まった日には心配のあまり家のつれあいに朝から電話したら、のんきそうに(つれあいは私以上にのんきだった)「さっき電話がありましたけど、元気そうでしたよー」と言われて安心した」などと矢継ぎ早に言われました。そうか、そんなに心配してたのか。ごめん。
『ねこのたまりば』にも心配してくださっている書き込みがあるし、ただいま〜と脳天気な帰朝報告(?)をしたら「心配してたんだよー」というレスをいっぱいいただいて恐縮しました。
みなさんにご心配おかけしましたが、私たちは世界情勢とは全く関係なく、楽しく、でも毎日起こるいろんなハプニングの対処に追われつつ、ねこ三昧旅行してました。

テロの影響を初めて感じたのはホテルのブッキングのとき。テロ以前には取れなかったオスロのホテルが、テロの後には取れたことでした。やっぱり旅行を中止にする人が多いのかなあ、でも、ホテルが取れてラッキー!なーんて思った私は平和ボケしている危機感の足りない日本人...ですね。反省。
それでも飛行機のチェックインは絶対うるさくなってて時間がかかるな、とは予想できたので、成田には早めに行きました。

今回の旅行のメンバーは4人。今までで最大です。
私と今泉さんの他、ねこ友だちのあきさんと、今泉さんのお友だちの京子ちゃんが行くことになりました。あきさんと京子ちゃんは北欧は初めてです。
みんなで東京駅で落ち合って、成田エクスプレスに乗って空港へ向かいました。電車の中からねこの写真など見せあって盛り上がり、すでに「ねこ三昧の旅」の雰囲気は充分です。

成田でのセキュリティ・チェックは、思ったほどではありませんでしたがやはり厳しく、時間もいつもよりよけいにかかりました。
私とあきさんは、荷物が小さかったので機内持ち込みにするつもりだったのですが、重さが少しだけオーバーするし、できるだけ機内持ち込みは小さく少なくして欲しいということで貨物の方に入れることになりました。私の荷物は前回のよりも小さく軽かったくらいで、前回はそんなこと全く言われなかったのに(計量すらしませんでした)しかも普通の担当者の人の他に目を光らせている男性(たぶんちょっと偉い人)も一緒に調べたりしていて、やっぱりテロの影響が大きいんだなあと思いました。
更に手荷物のチェックの際、なぜだか今泉さんのバッグがひっかかって、中身を調べられました。当然問題なかったのでチェック後無事通してもらえましたけど。どうも口紅のケースかなにかが問題だったようです。
私はいつもなら身につけている大きなダイバーズ・ウォッチがひっかかって、ゲートで毎度ピンポンピンポン鳴らしてしまうのが、今回はたまたま電池切れで小さな腕時計をつけていたため、全く問題なしで通過できました。

この、ダイバーズ・ウォッチを持って行けなかったのが結局いろいろと幸いしました。
電池切れに気づいたのは1週間前で(私は大の時計嫌いで普段は全く身につけないし、部屋にもほとんど置いてないのです)電池を入れ替えるにもとても時間がかかるため、これを持って行くのは諦めざるを得ませんでした。メーカーに出して、電池を替えた上、深い水の中でも問題なく作動するかどうか調べなくてはならないからです。この大きくて重い時計を気に入っているのは、文字盤が見やすいことと、アナログ・デジタル両方の表示があるため、片方で現地時間、もう片方で日本時間を見ることができて便利な点でしたから、普通の時計で行くしかないとなったときにはとても寂しく思いました。日本時間を見ながら、ああ、今頃みんなお昼寝中かしら、とか、もうごはんも食べたかな、なんて思うのが私の密かな楽しみなのです。(いちいち計算していると感慨が薄れるってもんです)
ですから、出発前日、近所の文房具屋さんで小さなスヌーピーの卓上時計を見つけたときは、これだ!と思いました。小さいながらアラームも電卓もついている!その上スヌーピーとウッドストックだし、なんたって1000円だ!こっちを現地時間用の時計にしよう!
衝動買いしたこの時計、実によく働いてくれました。
これこそが、今回旅行用に準備したものの中でピカイチの優れものだったようです。

2001年10月25日

座席がない?!(またまた北欧ねこ三昧珍道中記 2)

前回の旅行での失敗に懲りていた私たちは、早めに出国ロビーへと向かいました。
「前のときは、このへんを走ったんだよね」
「あんなに走ったのって久しぶりだったよ」
「免税店なんかも当然素通りだもんね」
「今日は時間がたっぷりあるから、お買い物もできるよ」
旅の始まりには何もかもが楽しく、私たちは女学生のようにはしゃぎながらお店をのぞき、例によってそれぞれミネラル・ウォーターを1本ずつ買って飛行機に乗りました。

座席は1番後ろのかたまりの、まん中の先頭1列でした。
1番前の席は、足下が広い上に前の席の人の影響を受けないので楽チンですから、わかったときには内心(やった!幸先いいぞ)と喜びました。はじの席に知らないおばさまが座ってますが、たぶん近くの席のお友だちとしゃべるために、まだあいている座席に座ってるんだろうと思ったので「すみません、ここ、私たちの席なんです」と声をかけました。
すると「まあ、おかしいわね。ここは私の席よ」と言うではありませんか。びっくりしてボーディング・カードの半券を全員調べてみましたが、やっぱりこの1列4席は私たちの場所です。

おばさまが座っている席にはあきさんが、その隣には私が座ることになっていたので、とにかく今泉さんと京子ちゃんには席についてもらい、おばさまには改めてボーディング・カードの半券を確認してくれるよう頼みました。まずないとは思いましたが、同じ座席番号が二重に発券された可能性もあります。

おばさまが「ほら」と力強く見せてくれたのは手書きのメモで、確かにその座席番号が書かれていましたが、一緒に持っているボーディング・カードの番号は明らかに違っていました。
「番号が違うようですが」と言うと「でも、添乗員さんにわざわざ席を変えてもらったんだし、それがこの席だって言われてるのよ」となおも主張されます。
そこに問題の添乗員の女性がやってきたので「なにかの間違えではありませんか」と言ってみましたが、困りきった様子で座席番号をたくさん書いたメモを見ながら「でも、これでいいはずだし...。こことここの席は空いてるのよ」と言うだけでらちがあきません。暗に私たちに席を譲ってほしいそぶりですが、はっきりお願いされたのならともかく、そんなつもり、私には毛頭ありません。

しかたないので、勝手に客室乗務員の人を呼んで裁定してもらうようお願いしました。
事情を話すと「あなたたちは団体旅行ですか?」という思いもよらぬ質問が。
「いいえ、個人旅行です」と答えると、即座に「ではこの席はみなさんの席です」と言われ、あっさり解決しました。

おばさまは全然納得いかないふうで、うろたえる添乗員の人をよそに「だって添乗員が」とか「私たちはこの席で」とか(もう一人同年輩のおばさまが、通路を挟んだ隣の席に座っていました)文句を並べていましたが、私はこれで問題は解決したと判断して、心配そうにしている優しいあきさんを促して席についてしまいました。
客室乗務員の人たち(何人か集まってました)が添乗員の人と何か話していましたが、そのうちみんないなくなり、静かになりました。
しばらくして何気なく横を見ると、もう一人のおばさまが座っていた席にも違う人が座っていましたから、やっぱり何かの手違いで違う番号が伝わっていたのでしょう。

それから数時間後、一通りのおしゃべりも夕食もすんで読書をしていると、誰かの気配がしました。目を上げるとさっきの添乗員の人がいます。
「あなたたち、みんな一緒に座れてよかったわね」と、小さな声で話しかけられました。少し疲れているようで、ちょっぴり愚痴をこぼしたいという雰囲気でした。
「でも、席は無事にあったんですよね?」
「それはね」
「それならよかったです」
「でも...ね。まあ...。あなたたち、ほんとによかったわね」
もうこの問題にはうんざりしていた私に、それ以上話につきあうつもりがないことを見てとった彼女は、静かに離れて行きました。
本に目をもどしながら、あの後、おばさまたちに文句を言われたのかな、添乗員の仕事も大変だな、と思いました。
そして、これを皮切りとして、この旅の間中『予約した席には誰か他の人が座っている』という妙なジンクスがついてまわったのでした。

2001年11月10日

空港が違う?!(またまた北欧ねこ三昧珍道中記 3)

今回のトランジットはフランクフルトです。
乗り換え案内をしてくれる日本人女性がいたので教えてもらい、その番号のブースに向かいましたが、だーれもいません。というか、そのフロア全体が人口密度が極度に低くて寒々しいムードです。
不安になったので、人がたくさんいるブースに、あたかも間違ったかのような顔をして入り込んで確認しましたが、あっています。戻ってみると、さっきよりは人が増えていました。どうも少しばかり早く着きすぎたようでした。

しばらく待ってから乗ることになった飛行機は、とても小さなものでした。雨のナイト・フライト、しかもこんな小型機! ちょっとしたスリルです。
わーい、なんだか旅慣れた人みたい、と内心思ったのですが、これが甘かった。
とにかく揺れたんです。最初から最後までほとんどずっと。
私はまだよかったのですが、耳抜きがうまくできない今泉さんと京子ちゃんは激しい気圧の変化についていけず、降りたときにはひどい頭痛で真っ青でした。
それでもなんとか最初の目的地・コペンハーゲンにたどりついて(今泉さんたちは飛行機を降りられて二重に)ほっとしました。

着いたのは夜の11時過ぎ、コペンハーゲンは大きな空港なのでパラパラと人はいますが、さすがに閑散とした雰囲気です。
今泉さんによると、最初にお世話になるブリーダーさんが空港に迎えに来てくださっているはずだったので、荷物を持ってロビーへと向かいましたが、それらしい人はいません。
小人数のフライトだったから荷物が出てくるのも早かったし、私たちの方が思ったより早くロビーに出てこられたのかなあ、なんて話しながら少し待っていましたが、不安が募ってきます。見回せば外に通じるドアはどっさりあり、外で待つにしてもどこに出ればいいのかわかりません。
今泉さんに「待ち合わせの場所はここでいいの?」と聞くと「うん、すぐにわかるから待ち合わせ場所は決めなくても大丈夫だって言われたんだけど.......」と激しく動揺している様子で、あちこちのドアから外を覗いて歩いたりしています。

そうこうしているうちに11時半を回り、いくつか開いていたカウンターなどもクローズされ始め、お掃除が始まりました。

やっぱりおかしい。
何か間違いがあったに違いない。

まず、ブリーダーさんのお宅に電話してみましたが、誰も出ません。迎えに来てくれている途中ならいいのですが、違うかもしれません。
送って行ってもらうことになっているホテルはブリーダーさんのお友だちのところで、『デンマーク語以外は通じない』と言われています。つまり、電話しても意味がないということです。そして、わざわざ空港まで迎えに来て送ってくれるということは、空港から遠く、観光客には行きづらい場所の小さなホテルだということに違いありません。
高まる緊張感に、あきさんと京子ちゃんには、まだ他の人もわりといるロビーの一角に荷物と一緒に待っていてくれるように頼み、私たちはホテル案内のカウンターの女性に助けを求めることにしました。

「すみません、このホテルに連絡したいんですが、私たちはデンマーク語が話せなくて、このホテルの人はデンマーク語しか話せないそうなんです。代わりに電話してくれませんか?」
カウンターにいたのは優しそうな初老の女性で「いいですよ」と気軽に引き受けてくれましたが、私たちの渡した電話番号を見ると「あら、随分遠いわね」と呟きました。
えっ、随分遠い???
「そう、この市外局番はすごく遠いわよ」
そう言うと電話をして、私たちの話を通訳してくれました。
「ホテル、ここからすごく遠いって...」
「すごくってどのくらいなの?」
掻き立てられる不安に顔を見合わせる私たちに、彼女は恐ろしい情報を与えてくれました。

「あなたたちの行くホテルは、ここから国内線の飛行機で行く所なんだけど、もう最終便が出てしまったから電車でいらっしゃいね。コペンハーゲン中央駅から30分おきくらいに出てるのがあるの。今行けば12時半のに乗れるから。7〜8時間くらいで着くはずよ」

7〜8時間?!
たった今10何時間も飛行機に乗ってようやく降りたのに?

混乱する頭で私が瞬時に考えたのは、今日の移動はあきらめて空港近くのホテルに泊まり、明日そちらに移動しようということでした。
「空港近くに今から泊れるホテルはまだあるでしょうか?」訊ねる私に対する答は
「いいえ、やめた方がいいわ。この近くのホテルはどこもとても高いのよ。電車をお使いなさい、中でちゃんと眠れるから」というものでした。
ホテル案内のプロが言うのだから間違いありません。若く(いや、実際は若くナイんですけど、西欧人から見れば日本人はすごく若く見えるので、私もものすごーく若いと思われるのです)お金なんかあまり持っていなさそうな(それは本当)私たちを思い遣ってくれる優しく的確なアドバイスに違いありません。

この恐るべき事実を今泉さんに伝えたところ、「じゃ、じゃフェリーには乗れるの?」と怯えた声がかえってきました。
その夜と次の夜の2晩そのホテルに泊まり、ブリーダーさんのお宅でねこを見せていただいて、朝にはフェリーでノルウェーに渡る予定ですから、フェリー乗り場が遠ければまた大変なことになり、スケジュールは大幅に狂ってしまいます。

「あの、私たち、明後日の朝早くフェリーでオスロに行く予定なんですけど、そこからフェリー乗り場は遠いんですか?」
「いえいえ、フェリー乗り場はすぐそばよ。ここは海に近い町なの。さ、大丈夫だから早く電車にお乗りなさい。2番の階段を降りたらホームよ。それから、乗る電車が決まったら、お友だちに電話してあげてね。ホテルの人から頼まれたわ。」
「わかりました、どうもありがとう!」

私たちは急いであきさんと京子ちゃんのもとへ戻りました。

2001年11月26日


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