ねこのあな


― 森のねこのたわごと ―


泣きっ面に雨。 (Sweden ねこ三昧珍道中記 13)

日本のお店なら、最近は海外発送もわりとありそうだし(ないかな)そういう業者さんもいっぱいいて、かかる時間さえ気にしなければそれほど費用をかけずに送れるわけで、つまりその程度にしか考えていなかったのです。
だって、海外転勤の人もたくさんいるんだし、船便で1〜2ヶ月くらいかけてもいいよーって言えば、割安になるはずじゃありませんか。

そのお店で調べてくれたところによると、とにかく近くにある郵便局から発送するしかない、というのです。
しかも、重量で値段が決まるため、かなり割高になりそうだとのことでした。
その上、郵便局までは自分たちで運ぶしかないらしいし。
えー、お店から発送してはくれないのー?!
一番大きいのを買うぞ!と盛り上がっていた私たちは途方に暮れてしまいました。

しかたないね、今日はとりあえずどうしても買わないといけないのだけにして、様子を見てみよう、ということになりました。
お友だちに頼まれていた小さめのもの(と言っても、日本で売られているものから考えたら充分大きいくて激安!)だけを買うことにして、送料や発送方法をちゃんと調べてからまた来ようと決めて、一つだけ梱包を頼みました。

梱包された箱はずいぶん大きくて重く、二人がかりでようやく持てるくらいの重さでした。台車を貸してくれると言ってもらったのですが、返しに来るのがまた大変そうだったので、何とか二人で運ぶことにしました。
私たちがとても欲しかった大きなものは、小柄な人間なら3人くらいは入れそうな箱に入ることになってたので、思いとどまってよかった、としみじみ思いました。
しかも、さっきまできれいに晴れていた空が急に曇りだし、ついには雨が落ちてきたではありませんか。
やむを得ずタクシーを拾って郵便局へ向かいました。ビンボーなのに...。

えいさ、こらさ。

キャットファニチャーが梱包される間、今泉さんはねこ用のシャンプーなども買いました。この大きなねこベッドが欲しいー、と最後まで悩んでいたのをあきらめたけど、正解だったかもしれないね、と、いきなり激しくなった雨を見ながら思った私たちでした。

雨は激しくなるばかりで、タクシーから郵便局に入るまでのほんのわずかな間でびっしょり濡れてしまうほど。
明るく清潔できれいな郵便局に入って、とてもほっとしましたが、送料を調べてもらってびっくり。なんと、キャットファニチャー本体と同じくらいかかってしまうと言うのです。
外はひどい土砂降りだし、この重い荷物を持って歩くわけにもいかないし、何よりキャットファニチャー自体がとても安かったので、これだけの送料をかけて送っても充分安いし品がいいから、とそのまま発送することにしました。
そして当然、あの、一番大きなものを買わなくてよかったー、と改めて思ったのでした。

2001年1月25日

ビンボー食事事情。 (Sweden ねこ三昧珍道中記 14)

前回もそうでしたが、私たちの食事は貧しいものでした。
もちろん、ビンボー旅行者であるために高そうなレストランに入れない、というのもその理由の一つですが、それ以上に大きな理由として「食べられるものが限られている」というのがあります。

小さな頃はひどい偏食で、ほとんど牛乳だけで育ったような私でしたが(牛こそが私の本当の母親だ!という説さえあった)成長するにしたがって、ずいぶんいろいろなものを食べられるようになりました。これは、多分に家庭教師のバイトのおかげだと思っています。学生時代、いろんなお宅で供された、ふだんなら決して手をつけないような様々なお料理を「せっかく作ってくださったのだから」とがんばって食べているうちに食べられるようになったのです。(納豆だけは別でした。納豆汁を出されたときも一所懸命食べる努力をしたのですが、どうしても無理で「これだけは勘弁してください」と半泣きで許してもらったものです)
それでも、においのきついものや、強い香辛料の入ったものはからだが受けつけず、いまだに食べられません。
もっとひどいのは同行した今泉さん。
食べられるものを挙げた方が早いというくらい。

前回、ファーストフード感覚のお店で、安くておいしいのよ、と言われて「ケバブ」というものを食べたのですが、これが私たちには鬼門でした。要するに焼肉にほとんど火の入っていないたまねぎが添えられているもので、お肉がだめな今泉さんは最初っからアウト。私は強烈なにんにく入りソースと辛いたまねぎにやられ、次の日のお腹の調子は最悪でした。
ケバブはあちらではポピュラーなお料理のようで、今回もあちこちで看板を見かけましたが、「あれだけは絶対避けよう!」が私たちの合い言葉でした。
レストランで食事をすることも、カードという強い味方があったので可能ではあったのですが、またケバブみたいなものを注文しちゃったらどうしよう、メニューだってよく読めないし...という恐怖心がつきまとい、今イチ踏み切れませんでした。

それじゃ、どこでどんなごはんを食べたのか?
これが...情けないんです。
スーパーマーケットやデパート(いわゆるデパ地下)でパンやチーズ、サラダなどを調達して、ホテルの部屋で食べるのです。ビンボくさい...。

すごーく小さな林檎。

でも、これがなかなか気楽でおいしいんですよ。パンはドイツ風でしっかりしていて美味しいし、ミルクは乳脂肪分などで細かくわかれていて、実にたくさんの種類があります。チーズも安くていろいろ買えますし、すごく小さくて酸っぱいりんごなども買えます。それに、フルーツジュースが濃くてうまい!
今回、どうやら「フルーツスープ」というものらしいトロトロのジュースを見つけて試してみました。葛湯というか、キセーリというか、そういう感じのもので、「なんかちょっと変だけど美味しいね」と大喜びで飲んだものです。この「なんかちょっと変」というのはどうやら正しい感覚だったらしく、後々この「フルーツスープ」の正体がわかって、二人で密かに赤面する日が来るのですが。

7月5日は今泉さんの誕生日だったので、ケーキも買って二人でお祝しました。おめでとー!とにぎやかにケーキを食べたのですが、「なんか、ちょっとミジメな気がする」というのが当人の感想でした。そりゃまあそうだわなあ。

2001年2月10日

王宮で危機一髪?! (Sweden ねこ三昧珍道中記 15)

ストックホルムでの最後の1日は丸々フリーでした。
これは私たちのビンボー旅行では大変珍しいことです。いつもビンボくさくびっちりスケジュールを入れるので、観光などほとんどできずに「北欧までただただねこを見に行ってきた」という状態で帰国していたのですから。
幸いお天気もいいし、電車に乗ってスウェーデン王宮を見にいこうか、ということになりました。
 
駅から王宮へ向かう道の途中には、びっしり並んだお土産屋さんが立ち並ぶ細い道が碁盤の目のように並んでいて、たくさんの観光客でにぎわっていました。
なんだか初めて観光地に来た感じだねーとはしゃぎながら坂を登って王宮についてびっくり。スウェーデンで初めて日本人に会ったのです。しかも、ニコニコマークのシールを胸につけたおばさまたちの一団に。
そうか、私たちはいつもシーズンオフ(チケットが安いから)に、観光地じゃないところにしか行かない(ねこ目的で来るから)から会ったことはなかったけど、そりゃ日本人は北欧にだって観光に来るよねえ、と変な感心をしました。

大阪から来てるらしいおばさまたちのグループがあまりにもにぎやかなのに気後れしてしまって、一緒に王宮に入るのはやめて、中庭やギフトショップなどを静かに見て歩きました。すばらしい彫刻や、ギフトショップの「王宮御用達!」グッズ(お茶やスカーフ、エプロンなどがありました。どれもシックでグー!)を眺めていると、外の方でなにやら音がします。
行ってみると、衛兵が交代する時間のようで、明るいブルーの制服に身を固めた紅顔の美少年たち(北欧の人たちはピンク色の肌をしているので、まさに紅顔の!って感じ)の一団が整然と行進してくるのが見えました。

5人の衛兵たちがきちんと並んでやってきては、衛兵の持ち場の前の通路で止まり、交代する一人が今いる衛兵の前へ進みます。そこで二人は敬礼を交わしあい、交代して、今度は役目の終わった衛兵が通路で待っている他の衛兵たちの列に加わり、また次の持ち場へと行進して行くのです。これが厳かにくり返され、全員が交代するという儀式なのでした。

幼稚園の頃には、横浜ドリームランドの入り口でピクリとも動かない衛兵(というか、衛兵の役の従業員)のお兄さんが恐くてそばに寄れず、衛兵と一緒に写真を撮りたかった親に取り残され、衛兵から1メートルくらい離れて泣いている写真があるのみという暗い過去を持つ私でしたが、大人になった今は「みんな可愛いねえええ」とオバさんチックな感動で楽しむことができました。

周りの観光客に習って写真を撮っていると、彼らがどんどん近づいて来ました。彼らの道を塞いではいけない、じゃましたらこの厳かで美しい儀式が台なしになっちゃう!と走ってよける私たちの後を、なぜか彼らはついてきます。なんで〜?と逃げまどう私たちに迫る美少年の一団!(きゃー♪)
「あっ、彼らの歩くことになっている道筋通り逃げてるんだよ!」
そうです。馬鹿みたいにまっすぐ走っていたため、結果として彼らを先導する形で逃げていたのでした。

なぜかとてもうれしい。

危ういところで気づいて脇にそれたため事なきを得ましたが、あのまま逃げていたらどうなったんだろう。
それより、実はまっすぐ順路を歩かなくてはならない衛兵たちの方こそが「おいおい、あの東洋人たち、何してるんだよ」と内心ハラハラしていたのかもしれませんね。ずーっとポーカーフェイスで伺い知ることはできませんでしたけど。

2001年3月12日


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