ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第22回(April 1st, 1999)

それからしばらくは外には出してもらえなかった。
まあ、やむを得ないかもしれない。
でも、そのうち、楽天的で私に甘いとうしゃんが、「たびならちゃんと帰ってくるからだいじょうぶだよ」と言って、私の外出を許可してくれた。もちろん、心配症のかあしゃんは、当然ながら反対したけど、最終的には折れた。
毎回の私の激しいアピールが効いたのだ。

それからは、山の家に行くたび、私はいろんなところを調べて楽しい時間をすごした。
春には小さな草の芽、夏にはジージーうるさい蝉たち、秋には可愛い実、冬には冷たくてキラキラ光る雪があった。
蝉は、あきれるほどたくさんいて、一本の木に何匹もいることがある。低いところにいるのが私の獲物だ。ダダダーッと走っていって木に登り、目にも止まらぬ早業で捕まえるのだ。
以前にもお話したと思うが、私は無益な殺生は一切しない。ただ捕まえて、かあしゃんたちに見せ、誉めてもらうだけで、充分私の有能さは証明されるのだ。

私はとりわけ夏が好きだ。
夏になると、かあしゃんたちが長いお休みを取り、いつもより長いこと山の家に留まるからだ。
一日は長く、木々の緑は眩しい。蝉たちはうるさく泣き、たくさんの鳥やりすがやってくる。
唯一の問題は、夏にはまわりのお家に、いつもは来ない人々がやってくることだ。見知らぬ人々や、かん高い子供の声を聞くのは、あまり楽しいことではない。
でも、それがどうだというのだろう? 楽しみはたくさんあるのだ。

長いパトロールや狩りに飽きると、テラスで本を読むかあしゃんのそばで少しまどろむ。鳥たちの声に混じって、部屋の中からけだるいジャズも聞こえる。ああ、人生ってなんて素晴らしいんだろう。

そんなすてきな夏のある日、それは起こった。

連載第23回(April 15th, 1999)

さて、みなさんこんにちは。たびの「かあしゃん」こと、森のねこです。
これから先のお話は、いまだに謎に包まれています。たびが決して口を割らないからです。
やむを得ないので、私が彼女の代わりにお話ししようと思います。もちろん、私の知る範囲の中で、ということですが。

それは、今から5年近くも前のできごとでした。

山の家で、いつものようにたびは散歩に出ていました。
散歩と言ったところで、慎重派の彼女は、家の回りで遊ぶだけです。草をかじったり、虫を観察したり、ごくごく小さな、けれども彼女にとっては何より大切なテリトリーを丹念に調べて回るのです。

その日は、たまたま私の母と叔母が遊びに来ていました。
夕方遅くなって、みんなで外で食事をしようとしたのですが、たびが帰ってきません。たびのお散歩は私たちが家にいるときだけに限られていましたから、彼女を家に入れようと探したのです。そのとき彼女は、お気に入りである、縁の下で遊んでいるところでした。
いくら呼んでも帰ってこないので、「いつも遊んでいるところだから、大丈夫だろう」と、彼女をそのままにしてでかけました。
何しろ、彼女はとてもとても慎重で、知らないところにはまず行かないし、知らない人には絶対に近寄りません。ですから、そのまま縁の下で遊んで、やがては遊び疲れて眠っているだろうと考えたのでした。

ところが、食事を終えて帰宅しても、彼女が帰ってきません。
つれあいと2人で縁の下にも捜索に出ましたが、いないのです。
私たちは、お隣の庭にいるんだろう、と考えました。
お隣は、私たちほどこの地にこないので、普段お留守の折にはたびのテリトリーの一部になっていたからです。
みんなに「平気だよ、すぐ帰ってくるよ」と言いつつも、胸がどきどきして、息苦しくなるような気がしました。
とてもとても嫌な気分でした。
ほんとうに箱入りねこであるたびは、たとえ夜遊びするにせよ、私が確認できる範囲にしかいかないはずだったからです。
しかも、その日は夏のお盆休みの頃で、ふだんはほとんどお留守の家にも、明かりが点っていました。そうです、普段の100倍ほども人がいたのです。
なによりも、私が呼べばすぐに返事をする、たびの声も聞こえません。

そして、その嫌な予感はあたりました。
その夜、たびは帰ってこなかったのです。

連載第24回(May 1st, 1999)

もしかしたら、夜半にフラッと帰ってくるかもしれない、と、その夜私はたびが普段出入りする窓のあるリビングに寝ることにしました。
月明かりの明るい、おだやかな晩でした。
柔らかな光の中、今にもたびが「開けて」って帰ってくるような気がして、ほとんど一睡もできませんでした。

夜が開けて、新しい1日が始りました。
朝から気温があがり、たびさえいれば楽しい夏休みの1日になったはずでした。
私とつれあい、それから母と叔母も交えて、私たちは全員で朝からたびの捜索にあたったのです。

まずはたびのいそうな、家のまわりを調べました。
縁の下から物置きの下の10センチほどの隙間まで調べましたが、いません。
捜索の範囲をぐっと広げることにしました。

「ねこなら、一晩のアバンチュールくらいあたりまえだよ」
「きっと、お腹がすいて帰ってくるよ」
そう言いあいながらも、不安は募るばかりです。
豪徳寺のアパートの頃も、夜中に一人で遊びに行っても、必ず夜明け前には帰宅していたたびなのです。
なにか、家に帰ってこられない事情があるのではないか。
ご近所中を尋ねて歩きながら、考えまいとしても悪いことばかりが頭に浮かびました。

家の近くに、白いねこがいるお宅があるので、そこにも伺いました。お留守でしたが、シロちゃんは玄関附近で遊んでましたから、たびを見かけたら、家に帰るか、シロちゃんの所にいるように言ってね、とお願いしました。
私は大真面目だったのですが、この件については、(ちょっと危ないな)と家族の者は心配したと後で言っていました。
知らないお宅にまで伺ったこと自体、私にはとても勇気のいることでしたから、誰彼かまわず聞いてまわった私は、すでに尋常ならざる精神状態だったのです。


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