ねこアパート

101号室

中村 たび

連載第13回(November 15th, 1998)

今考えると、豪徳寺時代は、私の楽しい子供時代だったのだ。
のどかな環境、がんばって精一杯早く帰ってくるかあしゃん。
しかし、それも数年で終わった。

上の部屋の住人がかわり、急にたいそううるさくなったことで、かあしゃんたちは引っ越しを考えるようになった。
豪徳寺のアパートからはどちらの会社もとても近くて便利だったのだけど、こんなにうるさいと、かあしゃんがノイローゼになってしまいそうだったからだ。
かあしゃんたちは、お部屋のニュースが載っている雑誌を読んだり、不動産屋さんを巡ったりして、ようやく新しいお部屋を見つけた。
今度は板橋へお引っ越しだ。

古い木造アパートだった前のお部屋とは違って、今度は新築だったけど、3階になってしまった。
小さいベランダはあるけれど、それだけのことだ。
前の通りには車がたくさん通るし、もうきままなお散歩はできなくなってしまった。
その上、かあしゃんは、会社が遠くなってしまったので、朝は早く家を出るし、夜は遅い。
いや、かあしゃんの帰りが遅くなったのは、通勤時間がかかるせいばかりではなかった。
仕事が増えて、忙しくなって、残業が増えたのだ。
とりわけ、「にゅうさつ」(母注:入札です。)というものがあると、帰宅は深夜になった。
前のとうしゃんは、ご本を作る仕事で、もともと帰りは遅かったし。

孤独な日々が始まった。

連載第14回(December 1st, 1998)

あの頃の私は、昼間何をして過ごしていたのだろう?
改めて考えると、よく思い出せないことに気付いた。
それも当然だろう。ほとんど眠っていたはずなのだから。

朝、私にごはんを食べさせると、かあしゃんたちはあわただしく出かけて行く。前のアパートよりも会社への時間がかかるようになったから、出かける時間も早い。
そして、夜遅くまで私は一人ぼっちだ。
つまんなくなると、カリカリの箱を倒して、一粒づつ出しては食べた。お腹がすいてるんじゃなくて(ごはんはいっぱい置いてあったから)あの箱に手をつっこんで、一粒づつ出すのが面白かったのだ。
孤独な遊びだ。

最初の頃は、かあしゃんもそれなりに早く帰っていたが、だんだんと遅くなっていった。仕事が増え、また面白くもなってきたようだった。ああいうのを「わーかほりっく」と言って、あれもまた病気らしい。あの時期、かあしゃんはあきれるほど仕事をしていた。

先に帰ってきた前のとうしゃんにごはんをもらって、私はかあしゃんを待った。前のとうしゃんも好きだったけど、でも、かあしゃんとは違う。
どこが違うんだって言われると、ちょっと困ってしまう。確かに気紛れで忘れんぼうのかあしゃんより、前のとうしゃんの方がきちんと私の面倒を見てくれたし、よく遊んでくれた。でも、かあしゃんと私とは不思議に通じるものがあって、一緒にいるとなんだかとてもほっとしたのだ。そういうのって理屈じゃないと思う。

夜中に帰ってきて、お風呂に入って、くたくたに疲れてるのにファミコンをするかあしゃんの膝に、私は自分から乗っていった。そういうことって媚びるみたいで好きじゃないのに。
やっぱり寂しかったんだと思う。

連載第15回(December 15th, 1998)

時間っていうのは不思議なものだ。
楽しいときにはあっという間に過ぎるけれど、後になれば、1秒1秒がまるで1時間のように、たっぷりとくっきりと思いだせるものに変身するし、そのときには永遠に終わらないように思える空虚な時間は、まるでなかったかのようにその存在感を軽くする。きっと、その密度に応じた厚さになって、心の本棚にしまわれるんだろう。

だから、あの頃のことは、ほんの薄っぺらい思い出でしかないような気がする。
起きて、ごはんを食べて、かあしゃんたちを見送り、少し遊んで眠る。起きても誰もいないから、またごはんを少し食べて眠る。かあしゃんか、前のとうしゃんが帰ってきて、一緒に遊んでくれて、ごはんを食べて、また眠るのだ。そんなことの繰り返しの日々。

かあしゃんはどっか遠くへも出張したりした。大きな荷物を持って出かけて、1週間ほども帰ってこない。
そんな夜は悲しくて、一人押し入れで泣いた。

そして、私が一人ぼっちだったあの頃、かあしゃんと前のとうしゃんも、やっぱり一人ぼっちだったのだ。
かあしゃんたちは別れることになった。
私の親権は、「あなたのねこだから」という前のとうしゃんの一言で、かあしゃんのものになった。
かあしゃんと私は、違う町で、違う生活を始めることになったのだった。


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