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今考えると、豪徳寺時代は、私の楽しい子供時代だったのだ。 のどかな環境、がんばって精一杯早く帰ってくるかあしゃん。 しかし、それも数年で終わった。 上の部屋の住人がかわり、急にたいそううるさくなったことで、かあしゃんたちは引っ越しを考えるようになった。 豪徳寺のアパートからはどちらの会社もとても近くて便利だったのだけど、こんなにうるさいと、かあしゃんがノイローゼになってしまいそうだったからだ。 かあしゃんたちは、お部屋のニュースが載っている雑誌を読んだり、不動産屋さんを巡ったりして、ようやく新しいお部屋を見つけた。 今度は板橋へお引っ越しだ。 古い木造アパートだった前のお部屋とは違って、今度は新築だったけど、3階になってしまった。 小さいベランダはあるけれど、それだけのことだ。 前の通りには車がたくさん通るし、もうきままなお散歩はできなくなってしまった。 その上、かあしゃんは、会社が遠くなってしまったので、朝は早く家を出るし、夜は遅い。 いや、かあしゃんの帰りが遅くなったのは、通勤時間がかかるせいばかりではなかった。 仕事が増えて、忙しくなって、残業が増えたのだ。 とりわけ、「にゅうさつ」(母注:入札です。)というものがあると、帰宅は深夜になった。 前のとうしゃんは、ご本を作る仕事で、もともと帰りは遅かったし。 孤独な日々が始まった。 |
あの頃の私は、昼間何をして過ごしていたのだろう? 改めて考えると、よく思い出せないことに気付いた。 それも当然だろう。ほとんど眠っていたはずなのだから。 朝、私にごはんを食べさせると、かあしゃんたちはあわただしく出かけて行く。前のアパートよりも会社への時間がかかるようになったから、出かける時間も早い。 そして、夜遅くまで私は一人ぼっちだ。 つまんなくなると、カリカリの箱を倒して、一粒づつ出しては食べた。お腹がすいてるんじゃなくて(ごはんはいっぱい置いてあったから)あの箱に手をつっこんで、一粒づつ出すのが面白かったのだ。 孤独な遊びだ。 最初の頃は、かあしゃんもそれなりに早く帰っていたが、だんだんと遅くなっていった。仕事が増え、また面白くもなってきたようだった。ああいうのを「わーかほりっく」と言って、あれもまた病気らしい。あの時期、かあしゃんはあきれるほど仕事をしていた。 先に帰ってきた前のとうしゃんにごはんをもらって、私はかあしゃんを待った。前のとうしゃんも好きだったけど、でも、かあしゃんとは違う。 どこが違うんだって言われると、ちょっと困ってしまう。確かに気紛れで忘れんぼうのかあしゃんより、前のとうしゃんの方がきちんと私の面倒を見てくれたし、よく遊んでくれた。でも、かあしゃんと私とは不思議に通じるものがあって、一緒にいるとなんだかとてもほっとしたのだ。そういうのって理屈じゃないと思う。 夜中に帰ってきて、お風呂に入って、くたくたに疲れてるのにファミコンをするかあしゃんの膝に、私は自分から乗っていった。そういうことって媚びるみたいで好きじゃないのに。 やっぱり寂しかったんだと思う。 |
時間っていうのは不思議なものだ。 楽しいときにはあっという間に過ぎるけれど、後になれば、1秒1秒がまるで1時間のように、たっぷりとくっきりと思いだせるものに変身するし、そのときには永遠に終わらないように思える空虚な時間は、まるでなかったかのようにその存在感を軽くする。きっと、その密度に応じた厚さになって、心の本棚にしまわれるんだろう。 だから、あの頃のことは、ほんの薄っぺらい思い出でしかないような気がする。 起きて、ごはんを食べて、かあしゃんたちを見送り、少し遊んで眠る。起きても誰もいないから、またごはんを少し食べて眠る。かあしゃんか、前のとうしゃんが帰ってきて、一緒に遊んでくれて、ごはんを食べて、また眠るのだ。そんなことの繰り返しの日々。 かあしゃんはどっか遠くへも出張したりした。大きな荷物を持って出かけて、1週間ほども帰ってこない。 そんな夜は悲しくて、一人押し入れで泣いた。 そして、私が一人ぼっちだったあの頃、かあしゃんと前のとうしゃんも、やっぱり一人ぼっちだったのだ。 かあしゃんたちは別れることになった。 私の親権は、「あなたのねこだから」という前のとうしゃんの一言で、かあしゃんのものになった。 かあしゃんと私は、違う町で、違う生活を始めることになったのだった。 |
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