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その日から、私はときどきリビングのドアの前に座って、客間のドアを見張ることにした。 ガラスでできているリビングのドア越しに、廊下を隔てて向い合せになっている客間のドアが見えるのだが、客間のドアは木でできていて、中の様子は窺い知れない。それでも、何かわかることがあるのじゃないかと思って、ハンターの粘り強さで座り込んでいたのだ。 すると、たまに幽かに「アーオゥ」というなき声が聞こえるではないか。2枚のドアを通しているから小さい声だけど、確かに聞こえる。 私が見たものは幻ではなかった。 ついに私はかあしゃんに疑問をぶつけることに決めた。ただし、他の子にはまだ言わないでおくことにした。何か事情があれば、みんなをいたずらに動揺させる必要はない。まずは私が確認して事情を知ることが大切だと思ったのだ。 「かあしゃん、客間に誰かいるんでしょう? もう知ってるわよ。なんで私たちに紹介してくれないの? その子はうちの子になるの? それに、私たちに、少なくとも私に内緒になんてできると思ってるの? それでよく平気でいられるわね? そういうのってルール違反じゃないの? すごく感じ悪いわよ」 次々にまくしたてる私に閉口したかあしゃんは、やれやれ、という顔で言った。 「わかったわかった。たびにはもうバレてるってわかってたよ。こないだベランダからお部屋の中を見たんでしょう? あの日からなんだか変だったもんね。わかった、それならちゃんと話すし紹介するけど、大丈夫ね? 怒ったり拗ねたりしないね?」 見損なってもらっちゃ困る。 だいたい、ここは私の家なのだ。誰が来ようと私に挨拶抜きだなんて、そっちの方が問題だろう。そういうルールを無視したかあしゃんのやり方に怒っているわけで、その子がちゃんとした子なら私だって文句は言わない。 私の毅然とした態度に、かあしゃんは「いいわ、もともと会わせるつもりだったんだから。ただ、時間をかけてゆっくりね、と思ってただけよ。まあ、とにかく最初はガラス越しに会いなさいね」と言ってリビングを出て行った。 リビングのドアをしめ、客間のドアをあけると、「マティスくん、出ておいで。たびと面会しよう」と声をかけた。 すると、客間から、そっと大きな黒白のねこが出てきた。 こないだ見た子だ。 マティスっていうんだ。 マティスくんは慎重に廊下に出ると、ゆっくりあたりを見回していたが、私を見つけると足早にリビングのガラスのドアに近づいてきた。 「やあ、こないだ会ったよね。君、たびっていうのかい。オレはマティス。君、小柄で可愛いね。オレの知ってる女の子たちとはちょっとタイプが違ってるけど、イカシてるね。どう、一緒に毛づくろいでもしない?」 なんてこと?! いきなりナンパするなんて! 私はびっくりしてドアから離れた。 |
ノンちゃん以外の男の子(正確じゃないかな、だって彼はおかまちゃんだから)、しかもこんなに大きくてりっぱな男の子を見たのは初めてだったので、リビングの奥に入ってからも、しばらく私の心臓はどきどきしていた。 ドアの向こうからは、相変わらず私を呼ぶマティスくんの声が聞こえた。 そりゃ、ノンちゃんがちびの頃に襲われそうになったこともあったけど、あれはノンちゃんもよくわからずに半分お遊びとしてしてたことだったから、マティスくんのナンパには正直どう対処していいかわからず、気が動転してしまい、部屋のすみで毛づくろいをして自分を落ち着かせようとしていた。まるで小娘みたいだなんて言わないでほしい。だって、ある意味私は小娘なんだから。 そのうち、ノンちゃんがマティスくんの声を聞きつけてやってきた。 ノンちゃんは、ガラス越しにマティスくんを見つけて、目を真ん丸にしていた。 「あっ、他にもいるんだね。こんにちは。君はオレのガールフレンドたちと似てるね。ねえ、こっちにおいでよ」 マティスくんはノンちゃんにも声をかけたが、ノンちゃんは無言で私のところに走って来た。 「お姉ちゃん、あいつ、見た?」 私は毛づくろいに手一杯で、答える余裕などなかった。 慌てた私たちを見て、かあしゃんは(やっぱりね)という顔をして「はい、今日はここまで〜」と言うと、マティスくんを連れて客間へ戻って行った。 たっぷり毛づくろいした後、私はあることを思い出した。気持ちを鎮めることと同時に、無心になることで忘れていた大事なことが突然浮かんできたり、とても客観的になれることで考えを整理できることも、毛づくろいの大きな効用の一つだ。 マティスくんのあの声、前にも聞いたことがある。 そうだ。私は確かに聞いている。 かあしゃんが私とノンちゃんをガラス越しにマティスくんに会わせてくれる少し前だ。あの時は、ガラスのドアのところには、めるちゃんがいた。 めるちゃんったら、ドアのところで立ち上がったり転がったりしながら「えー、ほんとう?」とか「うふふ、私もぉ」なんて、まるで女子高生みたいな嬌声をあげてたっけ。そうそう、そうだった。やけに甘えた声でないてた。 めるちゃんは、ある頃からときどきそんな声を出して、とうしゃんやかあしゃんに甘えるようになっていたから(またか)と思っただけだったけれど。 あの、めるちゃんの声の相手はマティスくんだったんだわ。 え、待って、じゃあ、めるちゃんもあのときマティスくんにナンパされてたわけ? っていうより、私より先にマティスくんに会ってたってこと? なにそれ。なんかちょっと気分わる〜い、と思った。別に、先にナンパされたかったわけじゃなくて、私に最初に紹介されなかったことに対してだけど。ほんとよ。 |
マティスくんとはその後もときどきガラス越しに会った。 マティスくんはだんだんと家に慣れてきてて、かあしゃんとしょっちゅう遊んでいた。かあしゃんがリビングから書斎に入ると、ニャーニャー大きな声でかあしゃんを呼ぶの。それで、かあしゃんと遊んだ後は、書斎でお仕事するかあしゃんのそばで眠ったりしてた。 そんなとき、私たちはリビングにいたわけだけど、向こうの様子が気になるのは当然のことで、だから「かあしゃーん、私たちもそっちに行きたいー!」ってたくさんクレームをつけた。 すると、ある日、かあしゃんととうしゃんが私をリビングから出してくれた。「そろそろ慣れてきた頃だし、ちょっと会わせてみようか」ということになったらしい。 そーっと廊下から客間に入ると、ふわふわの毛布の上に、クッションにゆったりとよりかかったマティスくんがいた。 「やあ、こんにちは。よく来たね」 なんだか余裕たっぷりで、とても貫禄があったので、私も「こんにちは」とだけ声をかけて、彼を調べるより先に、様子が変わった客間の中を調べることにした。礼儀正しい彼をあれこれ詮索するのは失礼かなって気がなぜだかしたからだ。 新しい大きなトイレやごはん皿、私のとは色違いのおもちゃなんかがあったが、一番違ってたのはにおい。「オトコ!!」って感じのにおいがムンムンしてた。 (へえ、これがおとなの男のにおいなんだ)ってちょっとびっくりしながら部屋を歩いていたら。 きゃーっ!!! さっきまで紳士の顔をして座っていたマティスくんが、いきなり私の首を咬んでる! 驚いたのなんのって、飛び上がってしまったわ。 「きゃあ、何するの?! やめてちょうだい!!!」 私が叫ぶと、意外にもマティスくんはあっさり私を離してくれた。 よく似た模様の二人の面会シーンをビデオに写そう!なんて言いながら見ていたかあしゃんたちもびっくりして「マティスったら! たびはおばあちゃんなんだよ!」とわけのわからないフォローをしてくれた。 とにかく、貞操の危機を感じた私は、まっしぐらに廊下に走った。とうしゃんがドアを開けてくれたので無事リビングに戻り、また毛づくろいに励んだのは言うまでもない。 「たびったら、齢15にしてオトコをそそるかぁ」 「人間の歳なら90近いんだよ。フェロモンおばあちゃんだ」 「すごいねえ」 「すごいねえ」 とうしゃんとかあしゃんは妙な感心をしていたが、これには後日談がある。 実は、その後ノンちゃんもマティスくんと面会したのだが、そのときにも私のときと全く同じ経緯を辿ったのだそうだ。 つまり、「マティスくんと軽い挨拶を交わす」→「本人ではなく部屋のチェックをする」→「後ろからいきなり襲われる」→「ノンちゃん怒る」→「マティスくん離す」→「ノンちゃん部屋から飛び出す」→「リビングで毛づくろいに励む」。 ただし、ちょっぴり違ったのが襲われ方。 マティスくんは最初ノンちゃんを女の子だと思ってたらしかったのだけど、ノンちゃんを襲おうとしてよくにおいを嗅いで、そうじゃないことがわかったらしくて「なんだ、きみはオトコだったのか!」とムカついたのか、お尻をちょっぴり噛んだんだって。女の子に間違えられた上にお尻を噛まれるという二重の屈辱を味わったノンちゃんの怒ったこと怒ったこと。お尻は、歯をあてられた程度で全然痛くなかったようだけど、ズタズタにされたプライドが痛かったらしいわ。 かあしゃんたちは襲ってくださいと言わんばかりにお尻を見せて部屋をうろうろしていた私たちのことを「うちの子たちは警戒っていうもんを知らないのか?」と呆れていたけど、だって、私たち、オナベとオカマだよ? ほんとうのおとなの牡ねこに会ったのだって初めてだったんだから、しかたないじゃない? |
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