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まおの保育日記 (第6回) |
October 14th, 1999 |
こんにちは、もう10月! 寒い夏もおわって(母注。まおはノルウェージャンとくらしているので、夏はクーラーがんがんのため、寒いそうなんです。それはいたいほどわかるのですが、ノルウェージャンのお母さん達は暑がりなのでクーラーかけてないと赤ちゃんにおっぱい与えるのをいやがるのです。(赤ちゃんはあったかいので) まお、毛が短いのにごめんね
...。) そろそろコタツがでてくるかしらと期待してるんですが...。 さて今回は、私が保育園をどうして開くようになったか、ちょっとだけお話しようと思います。 私は、今年でもう8歳になりましたが、最初から仔猫のことをかわいいとおもってたわけではないのです。 以前は、私も、私の母や、父や叔母そして同居のおじさんなどと動物病院で暮らしていました。 もちろんそのころから母(人間の)は毎日のように私をアパートへ連れて行ってましたので、一緒に通勤していたと言うことになるのでしょうか。(母は動物病院で看護婦さんをしていました。) そのころ、私は病院では一番若く、今思えばとても恥ずかしいことですが、生後6ヶ月になるまで母のおっぱいをせがんでいたような、甘えた猫でした。 病院ですから、たまには、拾われた仔猫や親のない子が連れてこられました。 そんな時は、今と同じように面倒を見てあげたわけではなかったのです。 そう、最初赤ちゃん達を見たとき私は、おもわず怒ってしまいました。 だってなんだか分けがわからなくって怖かったのです。 何度か、赤ちゃんとの対面がありましたがそのたび私は、怒ってしまいまして、母も、先生も面倒を見させるのはあきらめたようでした。 それから何年か、毎日母と一緒に通勤する日々が続きました。 そしてある日、病院がお休みの日は、必ず家に一緒に帰ってのんびりするのが常でしたのに、 その日はなぜか病院において(お泊り)母はそそくさと帰ってしまいました。 思い出してみると、その数日前からなにやらあたらしい小屋(猫用ケージ)や食器などを買い込んでいたようなのですが、私にはその時その意味がわかりませんでした。 その意味がわかったのは、お休み明けの日、またいつもと同じように母と帰宅したときでした。 その日はあと数日でクリスマスという12月の末、とても寒い日で、私はコタツに入れるのを楽しみに(病院にはコタツがなかったので)玄関がしまる音を確認し、キャリーバックから出ました。 するとそこには、いままで見たこともない毛のもこもこした目の大きな仔猫があの新しい小屋にはいっていました。 それはノルウェージャンフォレストキャットというなんだか長い名前の猫でした。 |
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